うまく行かない時の心の使い方


電車に乗ったり、街行く人の顔をそれとなく観ていると、幸せに過ごしている人と、毎日を苦痛に生きている人との違いが判る。


何故なら、心の様相状態が「顔」に出ているからだ。もっといえば、その人の体全体を包み込んでいるオーラというか、それまでの生きざまのエネルギーが、苦痛に満ちている人は、何だか薄汚れたグレーや茶色のベールに包まれている気がする。透明感が無い。


今を誠実に生き、それなりの豊かさ(お金だけでなく、家族、時間、健康、友人、人間関係、仕事、生きがい等)に幸せを感じている人は、それらに輝きがあり、透明感やほのかな桃色や明るい色をしている。



これは別に特別な能力などいらなくて、少しだけその人の後ろの部分にも意識を向けて、相手の生命全体をぼんやり眺めていると段々と分かって来る。でも少しだけ練習が必要だ。



上手くいかない時ほど、「意識して笑うようにすると良い。」と、昔知り合ったある事業成功した知人が良く話をしてくれた。体験的に「そのほうが上手く行く情報が集まり易い」と。


なるほど…と思った。

心や精神の状態と、体の行動は、実は大きく連動している。上手くいかない時ほど、言葉や行動はいびつな方向に向かっていることが多い。


本人は知らず知らずに、暗い顔になり、漂う雰囲気は「欲望の権化」「貧乏オーラ」に包まれる。誰しもこんな輩には近寄りたくない。近寄ってくるのは「同類」だけだ。


人間関係のトラブル、交通事故、病気、事故、災難…。こうしたことが自分や、自分の周りに頻繁に起こるようになったら、それは確実に不幸人生の王道を行く現象そのものだと自覚し、心の立て直しを自覚するなら「精神を立て直す」と覚悟したほうがよい。



最近、「お伊勢さん」に行くことがあり、その帰りの電車の中で、真ん中の通路を隔てた席に、四人組の男女が座っている現場に出くわした。男性たちは40代。女性たちは派手な成り立ちの20代前半。話の内容から、どうも一泊で”お楽しみ旅行”を楽しんで来たらしい。


彼らは終始、大きな声で騒ぎ立て、携帯電話を大声で何時間も使い、女性たちは強烈な香水から立ち上がる臭いを周囲に振りまきながら、昨夜の「営み」がどうかとかを下品に話し立てていた。



恐らく、彼らのその未来が今後どうなっていくのかは想像が付く。


周囲には折角の旅行の一日を終えようとしているご年配の方々が、その”迷惑集団”に目線で「この無礼な非常識者どもめ…」とその怒りを伝えていたことには、彼らは、とんと無関心であったことを考えると、こうした「精神の痴呆化」が進む人間も増えているような気がする。

自宅と公共の場との区別が付いていないのだ。



人は、自分だけで生きているのではない。日常で生活する以上、そこには必ず自分以外の人がかかわる。

相手の想念も、自分の「テリトリーゾーン」に当然関わりが出る以上、自分の想念や言動のエネルギーも、同様に相手に影響を及ぼすことを私たちは気付かねばならない。


言葉に出さず、黙っていれば分からない、という時代は終わった。



自分の日々の出来事が上手く行かない現象が多くなったとき、自分の日ごろの言動には客観的に、「どういう言動が多いか」を鏡を観るかのように眺めてみるといい。それは同時に、相手のテリトリーゾーンにも影響を及ぼすからだ。


否定的な言葉が多くないか。非難することが多くないか。自分をさげすむ言動や考えが多くないか。自分勝手で、自己中心的な言動が多くないか。「甘え」からくる我がままが多くないか。



人から、自分の利益のために搾取する要素が多くないか。欲望的な行動に偏り、理性的な言動とのバランスが悪くなっていないか。


このような偏りが出過ぎる日々の言動を無意識に行っていると、必ず人間は「ダークトリック」の罠にはまる。


「ダークトリック」とは「奈落の底に一気に落とされる現象」をさす。



人間、年を取ると、周囲にその配慮が次第に出来なくなり、周りの人たちの存在に気が付かなくなってくる。


地下鉄や通りを歩く時、或るいは、駅の階段やエスカレーター等多くの人が行き交う場所で、平気で立ち止まる「オジサン、オバサン」を目にすることは多い。老化で耳が遠くなると、周囲の人の存在に気が付かなくなるからだ。


感覚器官の衰えからくる老化現象は、誰にも起こることだから、老化そのものは仕方ない。だからこそ、自分の現実は、きちんと見据え、それを謙虚に受け入れなければならない。そして、可能な限り周囲に迷惑を掛けないように配慮し、人生の終焉に向けて老化を楽しみたい。少なくとも、私などはそう自分に対し最近考える。




しかし、現実を観ようとせず、無能さを自覚なしに、謙虚さを見失っているのは、「精神の痴呆」と同じといわれても仕方ない。


こうした、周りの存在に気が付かなくなる「精神の痴呆人間」にならないように気を付けようと、最近WAKU自身も意識を向けるようにしている。

上手く行かない時ほど、それまでの生き方とは少しだけでも良いので、ものごとを捉える次元を高くし、物事を数回掘り下げながら何故、そういうことをしたがるのか、何故、それに興味を示していくのかを考えてみよう。

例えば、毎晩深酒をしたがるのなら、「何故自分はこんなにも酒、アルコールを欲しがる日々を過ごすようになっているのか。」

「ああ、眠れないのが嫌だからか…。」では、「何故、眠れないようになったのか…。」

「女房と喧嘩ばかりするようになったからだ」。「どうして喧嘩が多くなって来たのか」

「俺が仕事で疲れているのに、こまごまとしたことにいちいち文句ばかり言うから、それがストレスになったからだ」

「何故、仕事で疲れているんだろう」

「部下のミスが続いたからか…。」「そのイライラを家庭に持ち込んだからか」
「それで女房や子供もイライラしていたんだ」

ということが段々と観えてくる。原因が見えれば対処法もいろいろと考えることが可能になる。

問題や案件が発生したら、必ずそういう場には人が関わり、感情も渦巻いている。そうした場のエネルギーは、大方が心地良くない。だから、どうすれば大切な場に、それらを持ち込まないように出来るかを、いろいろな角度から検証してみよう。心の使い方、日常生活習慣、食、運動、人間関係、家族、趣味、生きがい活動等。

不安やイライラは、問題の解決への先が見えない時に発生するもの。打つ手さえ見えてくれば、心や精神はやがて安定してくる。一つ一つ、コツコツ自分に合った方法を見付けて、良い方向へと生活の質を高めるように意識を向ける努力をしてみてください。

それが、最も自分自身を大切にし、あなたに関わる全ての人に、大きな幸せや喜びを提供するステージの、重要な第一歩となります。そうした日々をコツコツ積み重ねることが、あなたが周りから大きな信頼を生み出すコツでもあるのです。

どんな状況からでも、何歳からでも、取り組むのに「遅い」ということは有りません。その小さな一歩がどこから踏み出すことが可能なのか。じっくりと毎日の生活の中で自己観察をしてみてください。きっと見付かるはずです。

そうすれば、後は「掘り下げステップエクササイズ」をセルフワークで行うだけです。途中失敗したって構わない。何度もトライすればいいだけの話です。普通は失敗します。気楽な気持ちで、楽しみながらやって下さい。但し、絶対に諦めないことです。7〜8回もやれば、きっとそれなりの上手に行うコツが分かって来ます。

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