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ストレス対応力を養う為の「通過儀礼」という視点


物事が突然、立ち行かなくなることは、長い人生の中では良くあることだが、いざ、その現実に立たされると、何をどうやって対処したらいいのか、途方にくれる人も多いと思う。


周りを見ていると、日ごろ「流れる雲」のように、こころ気ままに毎日を過ごしていて、先々を考えての「今」を、その為への毎日を過ごしていない人がいる。



毎日の体験を知恵として積み重ねない。「今が良ければそれでよい」生き方。いつも「楽」に流れる。それでいて安易に常に「果実」を求める。


こういう生き方は、うまくものごとが運んでいる時は良いが、状況が一変し、一旦、守勢に回ると非常にモロい。


「1,2,3」が無い。いきなり「4,5」を求めようとする。


だから、「ゼロ」から「1」を生み出す感覚が分からない。「ゼロ」から「1」が一番大変で重要なのに。

周りを観ていると、「スピ系」と言われるスピリチュアルの世界で生きている方に、案外とこういう人が多いことに気が付いた。


心理的にスピリチュアルの世界に入り込み、それがある種の「現実逃避」になっているのかも知れない。


ただ、救われるのは、多くの人は本質追及より、インスタント的に結果が出る「HOW TO」を求めたがるが、「スピリチュアル系」に多いこういう人は、基本的には純粋で真面目な人が多く見受けられる。きっと厳しい社会や人間関係に精神的キャパが追い付かず心を痛めているのだろう。


ただ、「土作り」をし、「種」を植え、「水」をやる。こうした「1,2,3」の基本の必要性に気が付かないのか。世の中のルール(物質社会ルール)から外れようとする。


残念ながら、我々が活きている間には資本主義や物質的世界ルールを完全無視して、望むような豊かで幸せな環境や人生を実現するのは限りなく難しいようだ。


三次元(物質世界)のルールは無くならない。我々は「あの世のルール」優先で、「この世」で思うようには生きられない。



確かに、以前よりはるかに精神エネルギーの影響度は無視出来ない程、重要性を帯びて来た。



しかし三次元(物質世界)のルールは決して無くならない。


ここを無視すれば当然、問題が起こる。問題が起こり、守勢に回る時、対処が上手く出来なくなる。同じ失敗パターンを繰り返すだけだ。


「集い」に出かけては、「1,2,3」を飛び越え、いきなり4,5の「果実」を求めようとするのはもう止めよう。

いい加減に目を覚まそう。「嫌なこと」、「痛い現実」から目を背けるのは止めよう。これらを解決するリアルな世界でのステップを学ぼう。

「上手く行かない」これまでの場を好転させるには、「ゼロ」から「1」を生み出す「泥臭い」物質的な場での学びと努力を、先ずは実践しよう。



精神的な学びはその後でも良い。物質的な場での学びと努力を軽んじていては
残念ながら物事は思うようには実現しない。


これは純粋な世界を持つ「子供の心」とよく似ている。


本来はやらなければならないことは薄々感づいているのに、厄介なことだから、”それ”からどうやって逃げられるか。純粋な故に子供はこうした心を持つ。



年はとっても、精神や心は子供の状態のままでストップしている人は、感情的に「嫌なこと」だからと、直ぐに「そこ」から逃げるので、いつまで経っても、何歳になっても、「ストレスキャパシティー」、ストレスを受け入れる限界線ラインが低いままでストップしている。

だから社会に出ても、ちょっと嫌なことがあると、直ぐに逃げ出してしまう。同じことを何度も繰り返す。


辛いことだが、精神、心のキャパを増やし、「伸びしろ」を作るには、ある程度、「感情の痛み」を覚悟しなければならない。固い体へのストレッチと同じだ。柔軟性を失えば、怪我や問題は多くなる。

伝統芸能での修行では、プロとしての心構えを身に着けるために、「見習い」という制度を用いる。「見習い」はまだ子供扱い。一人前としては見てくれない。


「素人は100点を目指す。プロは100点から始まる。」


これがこの世界の決まりごとだ。「入門」を許されるのは、100点の世界が身に付いたとき。そしてようやく「プロ」の一年生としての活動が許される。


自然界には、どうも「通過儀礼」という、厄介な出来事を通じ、「子供の心の世界」から「大人の心の世界」に脱皮させようとする現象が有り、この世での出来事にいつも付いて回るようだ。



「通過儀礼」は凄まじいパワーを持って、我々を翻弄する。それは時として、立ち直ることが不可能に思えることもある。しかも予期せぬ突然の展開で、激しくそれはやって来る。

非常に厄介で嫌なんだけれど、そのままでは「子供の心のまま」で、ものごとの本質を会得することが出来ないから、敢えて難儀なことを通じて、「大人の心を持つ世界」に少しでも近づけようとする。


そんな厄介な「通過儀礼」という出来事は、「子供の心」から「大人の心を持つ世界」への、ある意味、私たちの未熟な精神を成長させようとする自然界の「愛」なのかも知れない。



辛い出来事にもし出会ったら、「通過儀礼」かなと、謙虚な心で、自然界の厳しい「愛」をじっと噛み締めて行こう。謙虚に受け入れたとき、きっと次は良い展開が待っている。


どんなジャンルでも良い。自分がワクワクする、得意な世界を見付け、そこから「プロ」や「大人」の領域で、社会に参加したとき、社会や人は暖かくあなたを認め、大いに受け入れてくれる。



「通過儀礼」がやってきたら、その第一ステップへのチャンスに再び立つことが出来たのだと、これまでを反省し、謙虚に感謝しよう。

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