学ぶべき相手を間違えない

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学ぶべき相手を間違えるな


最近、ふとした御縁で知り合った方から、「仕事に役立てて」と、
日頃の活動報告が時々送られてくる。
でも、せっかくのそれらの情報は、残念ながら今は必要のないものが大半だし、「役立てて」と言ってくれてはいるものの、そのメールに記述してあるリンク末尾をみると、全てアフィリリンクになっている。

つまり、そのリンクを通じてある種のセミナーの募集ページを案内してきているということで、そのまま参加申し込みをすると、彼のふところにいくらかが入るという”流れ”に「乗ってね」という意図がそこに隠されている。



まあ、それはそれでいいのだけれど、折角、ご縁というものが
出来たのに、こういう”打算”というか、いたずらに金を絡めて
くる行為は、どこか感情的に気持ち悪いし、本音を隠し表面的な
きれいごとや耳障りの良い軽い言葉で覆い隠していても、
その行為から漂う”臭さ”は隠しきれない。スパム的で折角の
関係価値の重みが根本的に破壊されてしまい勿体ない。



相手のことを本当に思いやっているのなら、つまらないリンクなど
貼らずに、もっと純粋な気持ちで相手に接するほうが、
結果、何十倍ものメリットとなって返ってくる。…体験上。



冒頭から少し脱線気味で、申し訳なかったんですが、
こういう出来事からあることを感じて、今日あなたとシェア
しようと思ったのは、もっと別なテーマです。



…そう、タイトルにもある通り「学ぶ相手」について。



冒頭の彼から送られてきたメールの内容は、かいつまんでいえば、
「久しぶりにセミナーに参加し、いろいろな意味で刺激を受けた」
と。



「いろいろな意味」がどういう意味なのかは分からないけれど、
「気持ちが高揚し、モチベーションが上がった」と書いてあった
ので、気分の転換には役立ったということなのかな。



でもここで気を付けなくてはならないのは、セミナーであれ、
書籍であれ、集会であれ、人との接点であれ…、その対象が
何であれ、漠然とした精神状態で臨んではいけないということ。



そういう精神の状態は、ある種の「強く強烈な個性」を持った
エネルギーと接すると、その対象の持つ”場”に巻き込まれて
しまう。



セミナー参加なら、一時的には気分は高揚したり、刺激感で
感情的に高まるかもしれないけれど、そんなものは大方継続しない。



ちょうど、魅力あふれるヒーロー主人公が演じる
ストーリームービーを見終えて出てくる人々のような感覚
かもしれない。


嫌な今の現実を、少しの間、お手軽に忘れるにはちょうどいい。



特にネット世界では非常にどこでも見られやすい現象でも
あるけれど、”ローンチ”がどうのこうのとか…、
ある種のマーケ的な手法が流行ると、誰しもが
”ダーッ”とそこに流れ込んで行く。そして直ぐにその世界は
何処にでもある陳腐化した古い手法として見られるようになる。



こんなものはただの”ツール”でしかない。ただの道具。
ノコギリやトンカチと同じ。新型とかの”年式”の問題じゃない。
流行ものを集め、そこに乗っかっても、あなたの根本問題は
解決は出来ないということを早く見抜けるようにならなくてはいけない。


こんな”道具”は直ぐに”ガラクタ化”するのは目に見えている。



あなたがもし自分の生き方にしっかりした軸を持っている人なら
大丈夫だけれど、多くの人は自分の人生や価値観と向き合いような
余り頭を使う?面倒な時間を持つことは真剣にしていないと思うので、
生き方への軸が固まっていない。



だから、いつも生きていくことへの不安が大きく、精神状態が
不安定になっている。「軸が無い」とは、「志が無い」ということ。



そういう精神状態の土台がきちんと備わっていない人は、
「学ぶべき人」や「対象」を間違えてはいけない。



そして、学ぶ際には、「何を得るためにそこに参加をするのか」、
「どういうテーマを解決するために情報を収集するのか」という、
はっきりとした目的を持って場に向き合った方が良い。



「学ぶべき人や対象」を間違えてしまうと、結局は、大して
役に立たない情報ばかりが集まるだけで終わってしまう。





”学ぶ”ということへは意識を向けてはいるのだけれど、残念な事に
ただただいつまでも情報を収集するだけで、何も成し遂げる事無く
時間を浪費し、実践を伴わない生き方で終わってしまっている
”セミナーバカ”、”情報収集バカ”といわれてしまう人たちは、
こうした「自分にとって本当に必要なテーマは何なのだろう…」
という、自身の価値観の整理整頓、きちんとした今本当に
やるべきこと、準備することの大切さが、「感情的に理解」されて
いないなと感じる。



そういう人の心理は、大体において常に”不安状態”にある。


だからそのメンタルの裏返しで、少しでも不安を打ち消してくれ
そうなニュアンスが感じられるセミナーや情報を求めてしまう。


そして、そういう不安心理で苦しむ人間がいることを見越して
”仕掛けてくる者”の渦に常に振り回され利用される。


でも、自分自身の内側が全くきちんと整理整頓されていないので、
折角の”投資”をしたところで、残念ながら、結局、役に立たない。
そして、また自己嫌悪に陥る…。このループ・循環を繰り返す。



では、極力、こうした無駄な浪費、労力を避けるためには
一体どうすればいいんだろう…。



あなたは、どうすればいいと思う?





………。



体験上、一番シンプルで分かりやすいのは、
「ある公式」を基にしっくりくるルールを作ること。



その「ある公式」というのは、自分と性分、生き方や価値観の
「スタイルが似ている人」から学ぶということ。


言い換えれば…【愛すべき対象から学ぶ】。


【愛せるべき対象】というのは、大体において、
感情的にもしっくりくる”性分”という世界が存在している。




人間は「愛する人、対象」からしか、学べないようになっている。



「学ぶことと、愛することとは密接なつながりがある」
とも、あの孔子もいっているくらいだから、多分そういうこと。



だから、自分の方向がどう進んで良いのかわからない人は、
先ずは『スタイルの似ている人から学ぶべし』と
アドバイスをしたい。



自分の人生の中心軸スタイルに添えるべきものを学ぶ際や、
本当に重要な物事を学ぶのであれば、情熱が湧き上がる場が
そこに継続的に生まれなければ、重要な真髄を会得することは出来ない。



それには「自分が惚れ込める人」でなければ学べることが出来ない。



惚れ込める人とは、自分とスタイルの似ている人といえる。
「スタイルの似ている対象」ほど、真似しやすく、模範にし易く
吸収も早い。



「守破離」の原則で、最初は「形」の真髄を理解したら、
後は自分らしさの世界を実現させていく。



対象がいくら凄いものだとしても、自分と基本的な部分で
価値観が異なり、スタイルが違うなら、そもそもが
自分にとって本当に役立ちある活きた技術や情報はそこにはない。



「学ぶべき相手」をじっくりと見極めるべし。



先ずは時間をたっぷり用意して、自分の価値観を充分に
整理することができれば、自然と学ぶべき相手や対象が観えてくる。



もう一度まとめれば、

◎あなたと「スタイルの似ている対象」を選ぶ

それをスタートステージへの基礎基盤固めとして、

1、自分自身の目指す世界を見付ける

2、その″ひな形”を学び、基礎部分の真髄を会得する

3、「あなたしか出来ない世界」
  「あなたならではの世界」実現への準備

4、師の世界を離れ、独自世界を確立


あと…、最後にまた少し脱線を。

世の中にはただただ漠然と日々を生き、また、そういう日常生活の
様子をいたずらに日記のように情報発信することで終わってしまっ
ている人がとても多いけれど、残念な事に、それでは折角の日々の
情報発信が日記帳をただ公開しているレベルと同じで、
実際には労力の割には余り意味が無い。


何故なら、「その先にある”着地点”が無い」から。


こうした情報発信で集まる人々を”何処に着地させるのか”を
明確にしておかない限り、どこかにいる普通の無名な人間の
日常生活を暴露しているに過ぎなくなる。


有名人や芸能人でない限り、こうしたSNS等での情報発信は
ただ漠然と行っているだけでは虚しい。それでもイイという
ならそれはそれで構わないけれど…。勿体ない。


同じ情報内容を発信することでも、少しだけ視点を変え、
その内容を「自分と同じような境遇や苦悩を抱える人に対して
発信を行う」というように意識を向け、あなたが日々、
そういう痛みや問題を解決する奮闘姿勢や、課題への取り組み方、
苦労しているストーリー、解決方法、役立ち情報、経過報告等々
に絞り込み、発信していくならば、そのコンテンツの価値は
格段に上がっていく。


どんな境遇に置かれている人だって、どんな状況下にある人でも
世の中には同じような、あなたと似た状況下にいる人間はいるはず。


どんな人でも必ず問題や苦悩は実際には抱えているはずなので、
あなたがどんなに無名で実績が何もない人でも、こうした内容で
どこかの「生き方のスタイルが似ている人」に向けて、日々の
心情や奮闘努力等を発信することが出来れば、きっとその情報には
価値観が大きく向上してくるはず。


つまり、あなたが「逆メンター(師匠)」の立場になるということ。
別に教える立場に立つ必要も無いけれど、結果として、
スタイルがどことなく似ている、価値観がなんとなく合うという
人々が、次第に読者として集まってくる。

何かをしたい人は、ある程度人が集まってきたら、
可能であるなら、その”着地点”を彼らに知らせ、交流を図る。
そこまで目指す事は考えないという人は、それはそれで良いと思う。


ただ、そういう一連の流れがあれば、日記的な情報発信も、
それなりに生きがいとしての財産的な価値が出てくる。


内容はある意味、自己満足で終わってしまってもいいと思う。
必ず響く人は出てくるから。万人に満足させるコンテンツなど
普通は書くことなど出来ないし、そんなことを意識していたら
長く継続させることも難しい。


あなた以上になる必要もないし、それ以下である必要もない、
”等身大”そのものでいい。


背伸びしたところで、どうせ分かってしまう。
文章にはその人間の本質的な”匂い”がどうしても出るから。


でもそのためには、先ず先のフォーミュラーをこなし、
あなた自身の価値を整理整頓し、何処に向かっていくのかという
道筋と″着地点”をざっくりでもいいので、固めておかないと。


日々の煩雑な出来事をいたずらに知らせる情報内容だけでは、
せっかく時間と労力を使って書いても、余り価値は無いと思う。


…。でも多くの人はやらないんだよね。

頭使うのって「めんどくさいから」って…。



頭は別に使う必要なんかないんだけれど。
ちょっとだけ時間と労力を要するだけ。

人生を変える大きなきっかけやチャンスを洞察し掘り起こす為への
充分な転機に繋がるのにね、やらないなんて本当に勿体ない…。
自分の”宝の山”も同時にザクザク見つかるのに。



あなたはどうする?


やっぱりやらない…か。

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