「自己目標」を叶える「ファーストコンタクト」のコツ

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最近、ある知人から「少し時間を取って欲しい」と連絡があり、早々会うことになった。

少し前に、ある案件で情報提供をしたことへのお礼だった。

その人は企業の社員研修のエキスパートで、全国を忙しく飛び回り、メンタル教育分野でも長年の実績を持つ。

数年前、長年連れ添ってきたご主人を病気で亡くし、ある程度、年齢も重なって来て、今後どのように人生設計をしていこうかと、「いろいろ模索をしている」ところらしい。

今の仕事をリタイアした際に「独立したい」ということだったので、そのステージに役立つ情報を、あれこれとお節介的にプレゼントしたことへのお礼だった。

しかしながら、その方と今後の独立について話をいろいろと伺っていく内に、私の思いはある結論に辿り着いた。

それは…。「多分この人は独立は果たせないな」ということだった。

その根拠は幾つか有ったのだけれど、一番決定的だったのは、彼女が「今の価値感」からしか、将来を見据えていないということだった。

仮にその方をMさんと呼ぶことにしよう。

Mさんはある大企業の優秀なキャリア充分な社員。このステージに立ち、長年、充分な現場数をこなして来た。

だから、クライアントを目の前にしたスキルは、物凄いものを持っている。…だが、問題はその「クライアントを目の前に出来る」シチュエーションを、独立後にどのように実現させ続けることが出来るか。。。ということ。

つまり、今は会社からクライアントのいる現場を充てがわれ、彼女自身はそこに出掛けて、与えられたカリキュラムに添って、粛々と会社の提供するプログラムメニューを消化するだけで良い。それで報酬を得ることが出来る。つまり、彼女にとっては目の前にクライアントが存在しているところからしか、自分の展開は始まっていかない。それが、”当たり前”になっていることに、そもそも問題への課題がある。

「独立する」ということは、クライアントを自ら集めることを視野に入れておく必要がある。勿論、”下請け的”に仕事を請け負うのも一つの方法だが、基本的には自分の力で集客出来る環境を整えられる技術と環境を備えておくことに越したことは無い。それが「万が一の保険」にもなる。

話をしていくに連れ、彼女にこの部分が欠落していることに気がついた。言葉としては「ああ集客ね…。当然重要よね」と口にしているが、何処かまだ他所事のようなニュアンスを感じてしまう。つまり、本人がまだその重要性について今一つピンと来ていない。

今の仕事のスタイルでは、個人として独立を果たそうとしても、簡単にクライアントが集まるものではないし、そもそも、著名な会社のネームバリューで集まる参加者にとって、どれほどの個人的な自己成長を期待するところでの本音部分を持っているのかは非常に”懐疑的”だ。

多分、参加者の多くが、そのお得意様としての会社内の強制研修でイヤイヤ参加しているのが本当の所だとしたら、そこには何ら参加者の感動など無いだろうし、彼女が「一介の個人」として独立したとすれば、そのようなカリキュラムを軸にアプローチしたところでリピーターなど有り得ない。特にパーソナルな相手をメインターゲットとするなら尚更だ。個人の独立には他には無い「独自性」が限りなく最優先されるからだ。

それをどんなに説明しても、彼女にはどうもピンと来ないのだ。今の現状が自分の独立後にも、そのまま持続していくと考えている節が見え隠れする。

メールで「まだ、現役バリバリで体も気力も動ける内に、準備を進めて行かなくてはいけないよ」と伝えても、「そうですね、でもいつかね…。でも”いつかね”ではいけないんだろうけれど。」という返事。分かっているようで、分かっていない。

本人に真剣さが足りないと言えばそれまでだが、要は「独立する時の状況」についてのリアル感が、分かっていないということ。

心の何処かで、「必要な時期に来れば、何処かの誰かが全て”お膳立て”してくれて、自分の所にその環境を運び込んでくれる」という、変な幻想を思い描いているような感じがした。

実はこれは結構あることで、例えば、何かの資格を取得する際に、その資格を苦労して取った後、不思議な事に、「自動的にお客様が吸い寄せられてくる」という、ある種の「幻想感覚」に包まれる。

実際にはこのような現象は有り得ないことだが、多くの人はこういう間違った幻想を持ったまま、その「入り口のドア」を開け、無知のまま飛び込む。そして見事に”玉砕”する…。そこで始めて気付くのだ。自分は甘かった…と。

今回のブログの一つ前の記事にも書いたのだけれど、その「入り口のドア」を開ける前に、必ず周到な準備を済ませて置かなくてはならないことがある。

それを怠り、無防備にその入口に入るから、”玉砕”してしまう。当たり前だ。それはまるで極寒の嵐の大波が荒れ狂う海原に、裸で飛び込んでいくようなものだからだ。「なんとかなる」なんていう次元ではない。無知さだからこそ、その恐ろしさを感じないだけのステージにいるに過ぎないということ。でも運良くそれを”浅瀬で体感”が出来、イメージ出来れば不幸中の幸いだ。

ある目標や夢に一歩近付くには、極論を言えば、「そのステージの価値感をじっくり感じ取れるか」どうか。これに尽きるような気がする。

そのステージを「どこか他所事」として、或いは、「自分とは無縁」と心の奥底で味わっている限り、その目標実現ステージは決して近付いてはこないだろうし、そもそも、そこに近付く意味も、価値もほとんど感じないだろう。そのステージへの魅力を感じない。だから真剣になれない。エネルギーも湧かない。

「未来へ馳せるものごとへの理解」には、二つの世界から理解を深めていく必要がある。

一つは「考える」という世界。
もう一つは「感じる」という世界だ。
その両方が必要。どちらが欠けても上手く行かない。

「考える」という世界は、ものごとの価値感を整理整頓し、ある問題への解決手順への道筋を、客観的に、冷静に見通す「洞察技術と力量」を養う世界に通じていく。それは理論的な世界でもあり、「テキストブレイン」という世界が入り口になる。そして次に説明する「感じる・直感」という世界観にも通じていく。

さてもう一つは「感じる」という世界。
これは情動的であり、感情的なエネルギーが躍動する世界だ。損得よりも、好きか嫌いかという世界でもある。或いは、現実的な体感という現場を幾度も積み重ねた末に繋がる直感的な要素も多分に含まれる。この世界は無意識領域の情報(価値感)の出し入れ、書き換えをすることが出来、理屈を超えたエモーショナルなステージに直結している。

あなたの理想的な未来を生み出していくには、この「考える」という世界と、「感じる」という世界の両方を踏まえ、それぞれの技術を高め、未来デザインへの精度を向上させていく必要がある。それぞれに技術が必要なのだ。

その最も入口にあるのが、【「価値感1.0」のフレームを壊す】ということ。これが出来ない限り、今の目の前に立ちふさがる問題の壁を超えることは殆んど難しい。そして普通の取り組みでは、このフレーム1.0の世界を壊すことさえ出来ない。

あなたが今このコンテンツを見ているこのITの世界でも、この二つの情報が飛び交っている。でも、その情報の多くは「考える」という世界のフレームにとどまることが多い。実際のリアルな情報は、ITの世界では伝えられないからだ。例えば動画でも…。現場の体感、香り、味等、飽くまでも創造、バーチャルイメージの世界でしかない。

「HOW TO」等のスキル情報などは、その最たるもの。
でも、みんな何故かこの「HOW TO」の世界だけで、物事の全てを解決させようとする。理屈や理論、技術解説をいくら学んだところで(情報価値の整理整頓には必要だけれど…)、そこに人としての感情という部分が備わっていない限り、「命が通う温かいエネルギー」は発生してこない。つまりはバーチャルな世界。あくまで幻想のステージだ。

僕らは、「自分の生きがい」を物事を実社会に浸透していくとき、基本的には「人としての血の通った温かなエネルギー」を、「それを求めている人達に伝えていく」、という図式の上で成り立っていく。つまり、人が人に温かな温もりを互いに感じ合いながら「共感し合う」ことが、始めて可能になっていく訳。ここが土台であり、全ての基本。

そういう意味でも、何かを始めようと考えた場合、その少し先にある「未来の場」を、イメージし、リアル感の在る世界として、どんな場が待っているのかとか、どのような世界を生み出すか、という「感じる」ということをしっかりと味わっていかないと、このM…さんのように、いつまで経っても「何処か他所事の世界」で留めてしまう。

これはもう一つの側面として、「今までの価値感の延長線上」でしか、ものごとの判断が出来ないことへの弊害でもある。

新しいことへの創出場を生み出すには、それまでの価値感の世界に囚われていたら、「それまでの世界」で暗躍している案件、問題、課題は、一向に解決させることなどは出来ない。

現実の世界としての情報として、それらの問題を解決に導く、優れたものは、実際にはかなり多く周りに散らばっているのに、脳そのものが「古い価値観1.0」のフレームに囚われているため、その「1.0フレーム」の色メガネからしか見えない、限られている情報だけを集めることになる。

そんなものは、ほとんど問題を根本解決する役には立たない。古き善き伝統を次世代に継承する際にも「従来フレーム1.0」だけの世界では無理がある。日本の伝統や経済を支え続けてきた老舗や、世界的な高い技術力を持つ町工場が、近年、数千、数万件と次々と閉鎖に追い込まれているのも、TOPがこうした古い価値感1.0のフレームの外枠に出て、物事を客観的に捉える感性を、自ら喪失させているからだ。

実績あるものが、過去の実績にしがみつくようになることほど怖いものは無いし、それが現状への力量が低下している一つのバロメーターになる。重要なのは「今、未来に対して何が出来るのか」だ。過去の実績などは関係ない。

これは、「EQ」という脳の機能世界にも大きく関わっていることでもある。例えば高学歴等、東大とか六大学等のインテリジェントな知性の高いIQ教育環境を経ている人間ほど、このEQが弱い傾向にあることが、近年の研究でも明らかになっている。

つまり、人間は知的水準を満たせば、幸せに繋げられるのでは無いし、逆に、「感じる」世界ばかりを優先させ、「考える」という世界を疎かにしている限り、物事を客観的に的確に判断することが難しくなり、誤った人生選択をする。「ジャッジミスを犯す可能性」も高くなる。

つまり重要なのは、未来で起こるものごとの展開や価値感への創造的な知性。人間関係への場のつなげ方もその一つ。相手の価値感をどう自分のことのようにイメージ出来るかということとか。或いは、ある価値感と、ある価値感を繋がていくと、どんな世界が生まれてくるのか…とか。

このように、少し先の展開を想像するということが、昔と比べると「とても苦手」という人が増えて来ているようにも感じる。TVのニュースで取り上げられている事件でも、「どうしてこんな稚拙な考えで、こんなことをしたのか…」ということが圧倒的に多い。まるで2歳や3歳の子供がそのまま大きくなったように感じてしまう。

例えば、「いじめられる」という世界があれば、そういう世界がこれからも永遠に続いていく…という、「今の延長」で、そのまま考えて行ってしまう。

ストレスだらけの生活環境なら、そのままの世界がこれからも永遠に続いてしまうと考える。だから、希望も明るい未来への展開方法が見えない。人生がつまらなくなるし、辛いままの毎日なら、そこから一刻もはやく抜け出したいと、最悪な結論につなげてしまう。全部、「今の価値感フレーム1.0」の延長線上だ…。これでは解決なんか出来っこない。

自分がそもそも、根本次元としてどうしたいのか。どうあればもっと生きがいを見出すことが可能になっていくのか。自分の最も活き活きとしている世界とは、どのような世界なのか。自分の価値感はどんな価値感があるのか。得意な分野や優れた感性は何か。いつの間にか時間を忘れて没頭する好きな世界は何か。最も自分らしい世界、立ち位置とはどんな世界なのか。

こうした、「あなたならではの人生での立ち位置」を、じっくり、時間を掛けて整理整頓し、見出していくことが先ずは最優先で行うべきことだ。

そしてその立ち位置から、自分自身が一番実現させてみたい未来を真剣に考え、「こうすると、こうなる…」。「この方法を選ぶと、その先には、こんないくつかの展開が生まれる可能性が出てくる…」という未来への「縁起(物事が実現していく場の道筋)」を繋げていく。

これを本当に真剣に取り組む。これしか辛い人生を乗り越え、好転させていく方法は他に無い。これをコツコツと繰り返すのが人生の根本的な在り方であり、それが底辺に備わっている人だけに、未来は切り開かれていく。そしてその都度、自分に対して自信が生まれる。そして自分に信頼感が出る。人生とはそういうものだ。それが自分の人生を生み出していく自己責任というものだ。

そのためには、古い自分の価値感から、物事を眺めていてはいけない。そんな世界にいつまでも囚われている自分をイメージしていてはいけない。全ては自己イメージが、今の現状を生み出しているのだということに、意識を向けて欲しい。どんな他人が持ち込んできた機会や現象であろうと、そうなってしまった現実からは逃げることは出来ない。現実逃避していても、何も明るい未来はやってこない。勇気を持ってがっぷりと「四つに組んで」向き合うしか無い。

先ずは、古い自己イメージを払拭するべきだ。どんな自分なら納得が行くか。生きがいを感じるのか。先ずは1年後の自分。3年後の自分…。5年後の自分をきちんとデザインすること。先ずはそこからだ。

そして、取り敢えずは、最初の辿り着くべき第一の目標地はどんなところなのか。なるべくその到達地点へのハードルは下げること。でも最終的な到達地点でのゴールは限りなく高い次元で。少なくとも、今の価値感の延長線上では到底実現出来ないほどの高度な次元での最終ゴールに仕上げておくこと。

でないと、無意識に無難な方法で物事を設計デザインすることになる。そして、その無難な方法は、殆んど今までの慣れ親しんだ価値感、思考方法、生活習慣でのパターンフレーム世界だ。それは、最終的に”失敗に向かって一直線”に向かうことと同じだということ。

その方法で問題や苦痛が生まれ続け、ほとんど上手く行かなかったのだから、今後もうまくいくはずが無い。これも古い自己価値1.0の世界が成せること。少しでも今までとは違う生活をしようとすると、無意識に元に戻ろうとするホメオスタシス機能が働く。

これはとても強烈なエネルギーだ。逆らうことはなかなか難しい。だから、少しずつわからないように変化させていく。段階的に…。この変化は、少しだけ心が苦しい。精神的にちょっとだけ怖さや苦痛を感じる。でも、それがとても大切な感覚でもある。

新しい変化に入るとき、つまり「フレーム2.0」の世界に入っているかどうかの判断は、この少しの恐れや苦痛を感じられるかどうか。良い意味でのチャレンジ感がそこに同時進行で備わっているかどうか…。そこを冷静に感覚チェックする。

新しい自己価値フレームに進むには、少しの勇気が必要になる。その勇気が、時として軽い苦痛として感じることがある。でも、やがてその少しの苦痛と向き合いながら、互いに折り合いを見出すことで、いつの間にか、最初の到達地点に辿り着く。

そして動きながらの自分だからこそ、気が付く新たな気付き、価値感、技術、コツがいろいろと見えてくる。そうして数々のリアルな現場を何度も体で体感することで、本当の意味での現場で役立つ「直感力」が育まれていく。

そういう意味でも、問題に直面しているとしたら、いつまでも「古い自己価値1.0」の世界に囚われていることに、何もメリットなど生まれないのだということに早く気が付こう。それには、新しい未来に対しての想像する力が必要になる。

これからどのように毎日を過ごして行ったら良いのか分らなければ、先ずは、自分の価値感の整理整頓から始めて見て欲しい。このブログ内にも幾つかのセルフワークが紹介してあるし、分らなければ、この記事の左横にあるセルフメソッドを入手して取り組んでみれば良い。

自分で未来は切り開かなければ、何も人生を変えることなどは出来ない。残念ながら、誰かが「据え膳」で全てを整えてくれるものなどでは無いというのが本来の人生スタイルではあるのだけれど、先ずはその方法からでも学んで行けば、きっと人生を変えていくヒントが見付かるだろうし、乗り越え方も段々と見えてくる。

焦らず、自分のペースでコツコツと取り組めばいいと思う。他人と比べる必要なんか何も無い。一番重要なのは、「あなたならではの人生の立ち位置」を見出すこと。全ての道はここからだ。

近年ではPCやスマホ、タブレットの活用が社会にも浸透しているので、情報をつい「受け身」で受け取ることに慣れてしまう。だから結果的に、それが自分にとって本当に必要なものなのかどうかのEQレベルでの思考回路が稚拙になる。

最後に少し脱線するけれど、学校や家庭の教育の現場で、もっと「創造性」を育む教育プログラムを大人が意識を向けてくれると、救われる子供が増えるのでは無いだろうかと感じる。

だからオジサンとしては、例えば、これから精神を育む重要な時期に在る小中高生に向けて、「その場しのぎ」の稚拙次元的なゲームコマーシャルが平気で延々と垂れ流されていることに、非常に違和感を覚えてしまう。これなんか完全にEQ等の創造性を低下させ「馬鹿になる」ように「仕掛けられている」のだから。

何故、麻薬やタバコと同じようにある種の規制をしないのか。この国の政治家たちは、将来この国を支えていく子供達をどのように育てて行こうと考えているのか。自分たちの派閥争いや自己保身を最優先で考えている時では無い。

メーカーも同じゲームを提供するなら、「点数争い」「殺戮」「競争」ばかりではなく、「情操や心を育む」という世界観をもっと意識したものを開発して欲しい。開発メーカーやプログラマー達は、余りにも目先の「利権」や「カネ」ばかりに集点を置き過ぎる。

こんなことをしていても結局生き残れないし、そもそもこんな発想こそが「稚拙な次元」そのものだ。もっと、明治の頃の維新のように、「これからの世界を救い、日本を背負う日本人として、どんな日本人としての心を育んでいくのか」というくらいの大きな志を持った精神で製品開発をして欲しい。

結果、その方が長きに渡り生きながら得る可能性が広がる。市場のライバルも少ない。もっと本質的、長期的なスパンで物事を構築する感性を養って欲しい。余りにも企業戦略が表面的、目先的で稚拙で浅い。

私達も、こうした「仕掛けられる」ことへの本質を見抜く感性を磨き、「仕掛ける側の利益誘導」の土俵に、安易に乗っかる稚拙さから逃れられるように、自らの感性を磨く必要がある。

「日本人の精神は小さくなり、本当につまらなくなったな…。」

最近の政治や教育、有名企業の幹部、経営陣の動向とかを見ていても、本当にそう感じてしまう…。