「つまずき」は人への優しさエネルギーの種

心の立て直し


「ああ…またやってしまった…。」


このような後悔の念を感じる事は、今までのいろいろな出来事で誰にも数回はあると思います。


この挫折体験、経験は、その時はかなり自分に対して落ち込みますよね。


「どうしていつも自分はこうなんだ…」とか。


しかしここで一つ意識を向けておいて欲しいのは、失敗や挫折したとき、そのステージを含めた、あなた自身の未来に向かう際の「心や精神の質」です。「自分に対する価値感」と言っても良い。


丁度、今、新しい職場で、現実の社会での厳しさを肌で感じる人も沢山いると思います。


もし失敗をしても、今までの学生の頃とはその失敗の重みは、これまでの人生では全く体験したことが無い様な、とても自分の力量では支え切れないような重責感を感じているのではないでしょうか。


そしてその失敗には、お金の問題、クライアントの不信感、信用消滅等々、社会人だからこその特有の重責感が付いて回り、これが「社会の厳しさか…」という発見があると思います。


「一生懸命に取り組んだ末の失敗」は、ゆくゆく、あなたが人から大きな信頼と信用、そして人としてのある種のあこがれ的な影響を及ぼすことにもつながってきます。


その魅力を育む「根源となるエネルギー」が、この一つ一つの挫折や失敗から生まれる窮地を脱する知恵や精神エネルギーとして、あなたの内側に凝縮されていき、そのエネルギーがその失敗体験の裏側に力強く存在しているんだということを絶対に忘れないでいただきたいと、強くあなたにお伝えしておきたいのです。


失敗や挫折の経験が深く、そこでもがきあがき、苦しみ、その絶望の淵に追い込まれながらも、乗り越えることが出来た人ほど、こうした人の心の痛みを自分のことのように理解することが出来、人に優しくなれる傾向があります。


だから、挫折や失敗などで、自分を価値の無い人間なんだ、生きている資格が無い人間なんだ…と、考える必要など全くないということなんです。むしろ、積極的なチャレンジなら、どんどん失敗を恐れずやってみたらいいと、和久は常々考えているくらいです。


ただし、家族や大切な人に即座に影響を及ぼす場合は、「無謀」、「無知状態」でスタートすることは、極力避けるように、最大限出来る限りの学び、技術習得への努力、配慮、準備は周到に緻密に行うこと。何故なら、一人だけの責任では済まなくなるから。ここは絶対に間違えてはならないと考えています。


しかしながら、最もやってはならないことは、失敗や挫折を恐れて、自分の資質を人生で活かすチャレンジを諦めること…。これなどは、まさに”生きる屍状態”といえます。このような生きる屍のようになっているほど、人生に希望の光を失うことが多いのです…。


こういう人ほど、死んでいく時に「自分の人生は…本当にこれで良かったんだろうか。もっと何か出来たのではないだろうか…」と、非常に強い疑念と、後悔の念がフツフツと湧き上がって来るんです。何故そう言えるのかというと、まさにこの経験は私そのものだったからです。あの世に行っても、ずっとそういう疑念が払拭出来ない。後悔だらけなのです。


そして、みんながやっていることだから…。みんなと同じような流れに乗っていることだから…。というだけで、本来の自分の資質が何なのかということさえ、掘り下げようともせず、こうしたベルトコンベアーに乗って、他人の利益の為に用意されたシステムに乗って生きていく。


これは現代の奴隷制度そのものなのです。そこにあなたらしさを活かす目標が、本当に掲げられているのか…。


しかし偶然にも、そこに生きる希望が見出せているなら、その人は幸運です。本当に運がいい。ですが…大抵の多くの人は、半ば自分の人生に希望など真剣に考えることなく、みんなと同じようならそれでいいと、惰性で日々を過ごす。或いは、このように生きていくことに、如何に感覚的に慣れていくかを考えていくだけなのです。


ある時…、一人の男がいました。行動力が有り、頭も切れ、普通の人間が諦める困難な状況を、次々と打破し、状況を好転させていきました。


彼は「俺しか出来ない!」と自分に誇りを持ち、目の前の仕事を次々とこなしていきました。しかし、ある日、出張先から戻った駅のホームで突然意識を失い、暫く死中をさまよいました。そしてこの不慮の出来事が起こった日から、彼の人生の歯車は狂い出します。


奇跡的に意識が戻り、彼は入院先のベッドの上で「一体、俺が抜けたアナはどうするんだ…」と、その責任感から考えます。しかし、現実は、まるで何も無かったかのように、日々滞り無く進んでいる…。


俺がいなければ、会社は進んで行かないんだ…。このように考え、それを実践させてきた自分自身のそれまでの誇りが、粉々に吹き飛んでしまった現実が今ここにある…。やがて、不安が頭をよぎります。「もし、今現在、俺がここにいても、何事もなかったように、日々が過ぎていくのなら、俺の存在は…、価値感は…、将来は…一体どうなってしまうのか…。」


やがてそれは現実となります。ある日、彼に突きつけられた突然の”肩たたき”同然の宣告…。これは実際に起こった、ある有名な会社での、次期社長候補といわれていた方の実例です。


「俺がいなければ、現場は絶対に回っていかない…と思っていたのに。俺という存在は一体何だったんだ。こんなに会社に尽くしてきたのに。」


…。彼は生きる希望を完全に見失ってしまいました。小学校から学級委員。有名な進学高校、日本を代表するような大学を優秀な成績で卒後。大きな挫折も無く、それまで優秀だっただけに、落胆も大きかった。


彼の奥様からちょくちょくと電話が掛かるようになり、「主人がまた先生と一緒にお茶をしたいと話しております…」ということで、お話しをしがてら、ワークショップをさせていただいた。…その後、彼は再び元気を取り戻し、自分ならではの資質を活かす人生目標を見出し、小さな会社に出向を命じられた後も、活き活きとした人生を過ごしている。


この自分の資質をより活かす方向に一生懸命になって日々を生き、その上で失敗や挫折の経験が深く、そこでもがきあがき、苦しみ、その絶望の淵に追い込まれながらも、乗り越えることが出来た人ほど、人の心の痛みを自分のことのように理解することが出来、人に優しくなれる傾向があります。


何故、この話に触れたのかというと、実は先日…、ある数人のメンバーと共に行なっていた商品開発のミーティングで、ここ15年間、自分の仕事をする上での、その根底に流れる「理念」を再確認させられる話題になり、そこで改めて原点に帰る大きなある気付きがあったからです。


そこに、この15年間の仕事上の付き合いのある、友人でもあるビジネスパートナーとのやり取りで、自分たちの挫折人生について、かなり突っ込んだ話になったのです。


かつて、「たった一人ではそれほど大したことは出来ないが、何人かが同じ方向を向いてそのエネルギーが一つに集約すれば、自分たちと何か似たような世界で苦悩する人に役立つかも知れないし、その場に向き合うことで、今までの挫折感に包まれていた”自身に対する低い価値感”も、良い方向に向かって大きく変化するかも知れない…」ということを、その話し合いで思い出したのでした。


皆、大いに昔の辛かったことながら、改めて原点を掘り起こすことが出来たこと。価値感を共有できる仲間と深い話が出来る場を持つことの幸せ。集う場をずっと何年も継続して維持出来ていることの不思議な縁に深い感動を覚えたのでした…。


お互いがお互いを尊敬し合い、自分の大切にしたい価値感を、相手もお互いに同じように実感できているのは、実に本当に幸せなことだなあ…と感じます。


挫折をたくさんしてきた経験が在ったからこそ、心に苦痛を感じ、人生に悩み、前に一歩踏み出そうとしても、その1歩を踏み出す勇気を持てない人の心が痛いように分かる…。


だからこそ、今回のこのプロジェクトは、このメンタル弱者を支援する意味においても、弱者でもやり方一つで充分に活躍することが可能なのだということを証明する意味でも、名も無き小さな場からのスタートからでも、その活動は成長とともに続けていくことが可能なのだということの証明をしようということになりました。


つまり、平ったく言えば…。「人を大きく抜きん出た才能や資質を持ち合わせていないような凡人や弱者だって、充分に自分の価値評価を高め、人や社会で目を見張るような活躍をすることは出来るのだ」というプロジェクトを、ボランティアではなく、スモールビジネスという形式を通じて「仕組み化」させ、実践していこうということ。


こういう話をすると、決まって「ちょっと待った!」という声が聞こえてきそうなのですが、その声の多くは、「何故、ボランティアじゃないんですか?」という内容です。


実は…、このコアメンバーは、15年間ほどボランティアで市民運動や環境運動をサポートし、実践的な活動を身を削って続けて来たキャリアを持って来ています。しかし、そこで感じ続けてきた結論は、ボランティアは「誰かの犠牲の上に成り立っている世界」なのだということ。


そしてボランティアの最前線にいると見えてくるのは、最終的には人としての心の弱さです。いざという時に、「質」を要求される問題解決場での構築責任からどうしても逃げてしまう…。お金が絡んでいないほど、逃げることが簡単になる現実がある。「ボランティアなんだから、そこまで要求するんじゃないよ…」と。


つまり、相手の視点ではなくて、此方側の視点で落ち着いてしまうことが多い。皆が皆そうではないけれども、少なくとも僕らの周りの人々はそういう傾向が在った。だからいつまで経っても、似たような問題が繰り返される。根本解決への仕組み化に繋げる資金や労力が続いていかない。限界値が早くやって来る。そういう意味でも安易なボランティアは反対なのです。


皆が皆そうではないけれども、少なくとも僕らの周りの人々はそういう傾向が在った。だから、お金の本質を理解しないままにお金というエネルギーを毛嫌いし、何でもボランティアに向かおうとしてしまう、安易でキレイ事なボランティア活動は基本、信用していないし反対なのです。


こういう人ほど、現実の問題が発生した時に、それを根本次元から解消させる抜本的な技術や知識が稚拙なことが多いし、その現場から何かと一見、正当性のある理由を付けては抜けだそうとする。


でも、それが人間なんです。自分を守る家族や生活環境を他に持っているなら無理はない。その人を責める訳にはいかない。でも実際に現場は困る訳です。一時的にせよ、そういう場を求めて集まる人の心の支えが、ある日突然、忽然と無くなってしまうなら…。


一旦始めてしまう以上、その責任は常に付いて回るということ。簡単に捨てることが出来ない。だからこそ、理想論ではなくて、地に足がきちんと付いた社会のシステムに溶け込んで行ける技術や実践的な知識を、学ばなければならない。


資本主義のルールの元では、まだまだお金という共通価値感の道具が、一つの信頼を確認する上での「価値交換手形」となっていることは無視出来ないんです。現実問題として…。


だから、逆に、ビジネスという世界共通の価値交換システムについて、弱者でも活用が可能な専門的な知識と技術を学び、自分の持つ特性や強みと絡めることで、これからの混沌とした時勢の荒波を乗り越えやすくなるはず。少なくとも今のような”無知状態”のままで放置されているよりも。


勿論、他にも、お金を集約させる以外に他の方法がないのかと、いろんな議論がなされ、根底にはその可能性を見捨ててはいない思いもあります。そして、これらの思いや枠組みは多分、まだまだ未熟であり、今後も進化成長を続けていくと考えています。


しかし、一番の問題は、「未熟だからそんな状態でスタートさせても意味が無い」とか、「まだ実行するに相応しくない」というところに結び付けようとする、実践しないで済むことを如何にも正当化しようとするその思考のクセ…。


これは、ほとんどの成果を出せない人間が口にする常套手段です。いままで実に多くの人達の考え、行動、思考の底辺に存在している各人の価値感を眺め、見続けて来たけれども、何年経っても一向に変化の兆しさえ見せない人間の定石パターンは、まさに”これ”です。


成果を出せない理由や原因を、いつまでも未熟な仕組み、システム、他人のせい、社会のせいにしているような「他人依存」のフレームの枠にはまり込んでいる以上、現状のフレームは何も壊せないし、そのフレームから逃れられることは出来ないです。


こんな未熟な状態なんだけれど、でも、最初の踏み出せる僅かながらの「第一歩」は、どんな形なら出来るんだろうか…。この、僅かな、あるかないかの第一歩を形にする。全く何も無い「ゼロ」から、「有」を生み出す場を【見える化】させるということが、実に奥深い意味を後々に繋げる意味でも、非常に重要になるんです。


僕らは、このことをさまざまな社会の現実のシステムや現場を通じ、多くの人と向き合い、価値感を戦い合わせ、人間という物の本質を研究し探ってきました。それぞれの得意とする分野で…。


そして…その思いを基礎として、底辺に「ドシッ!」と備え、今回のプロジェクトへの動きに繋がっていきました。おそらくこのプロジェクトは、和久がシワクチャなジジイになり、入れ歯だらけで一体何言ってるんだか訳が分からなくなっても、現役の気分で続けていると思います(笑)。


それぐらい、思い入れの強い夢であり、実現化させるのが目標だった世界なのです。


この新しい取り組みは、これまで15年間ドップリと浸り続け、研究に研究を重ねて来た、あるジャンルでのセルフワークプログラムです。


このプログラムは、例えば、これまでさまざまな競争社会のシステムで弾き飛ばされてきた、落ちこぼれや、人生の荒波を乗り越えながら、その生活の貴重な知恵、人生経験知の知識、技術を、「人生先生」として活用して戴く可能性も充分に有り得ると考えています。


つまり、辛い人生経験が、そのまま似たような体験の真っ只中にいるメンタル弱者を支える「体験先輩」や「経験知先生」として活躍や支援をすることが可能になる。数々の人生を乗り越える経験者が、人生経験知の浅い若者の心を支え、相談するステージを創出することが可能になるということです。


支援するプログラムシステムがあれば、これらは充分に可能になります。最近では、以前と違い、実にIT環境でも充実したさまざまなツールが整ってきました。サイト作成に必要だったHTML等の専門的な知識など知らなくても、素晴らしいサイトが作れる無料サービス、メール配信システム、個人的な商品の告知サイトや販売システム、予約システム、小さな規模での教室や講座開催参加者募集システム等…。実に充実した環境が整ってきています。


これらを使えば、誰でも自分の人生経験や強みを活かし、小さな規模から事業を起こすことが可能な時代になってきました。こんなことが出来る日本に生まれていることが奇跡だと思うのです。


自分にできることは何なのか…。


和久はこれから数年間、自分ならではの形で、「心の立て直し」をテーマに、ここに集まる人たちを対象に、彼らが自信を持って今後のそれぞれの人生を歩んで行って貰える支援を「仕組み化」させて、実現化に向け進めて行きます。


さらにもう少し踏み込んだ形でいえば、「心の立て直し」と、立て直しへの「食」という世界です。


例えば「心の立て直し」という観点から見た「日本の風土においての食」は、分かったようで、分かっていないテーマです。


日本人として生まれ、日本という独自な風土に育まれてきた中での食文化だけれど、たまたま今、その日本食が、かつて「マクロビ」として、一旦、海外に輸出されたものが逆輸入で日本に入ってきたことで、日本中に大ブームとなった流れがありました。丁度今から15年程前のことです。


少し話題は本筋とは離れるけれど、アメリカやヨーロッパから、専門家による酵素やファイトケミカル等の新分野研究部門の情報が瞬く間に、SNS等のIT環境整備によって世界中に情報発信され、日本食が「抗酸化食モデル」として、世界の名だたる著名なシェフ達が触媒作用になり、近年再び、フランス、アメリカ等のグルメ市場を席巻しています。


そういうさまざまな専門家達との「食」チームとして、食材生産者交流、流通やレストラン運営、ワイン輸入販売、料理教室、レシピ開発等の現場の最前線で10年以上もの間、ドップリ現場の緊張感と戦って来た、ある意味”戦友”と、再び熱いディスカッションを何日も続けた結果、日本風土が育む独自の「醗酵食」と、欧米のシステムに翻弄され続け、病んだ心に直結する食の在り方を、再び見直し、何か小さなムーブメント的な活動は出来ないものだろうか…という結論を出すに至ったという訳です。


つまり、心を病んでいる日本人の心を癒やし、元気を取り戻して行くための「食」と「心の立て直し」の融合プログラムを名古屋から発信していこうというもの。可能ならゆくゆくはこうしたこだわりの生産者も巻き込んで…。


このプロジェクトは、さまざまな食関連の専門家による協力も視野に入れ、「心の立て直しプログラム」に関しては、これまで15年の間、日本人の脳特性に特化した思考法研究や、著名な大学研究者達による問題解決への専門的なアドバイス、国内外の脳研究分野での専門家のノウハウ、東洋の禅等の哲学感、伝統的な医学分野を取り入れた従来にはないセルフワーク形式のプログラムも取り入れる予定になっています。


その存在は未だ無名でも有りながら、これまで10年以上のテストを重ね、期待以上の秀逸効果が確認出来ているのだけれど、そのプログラムの開発ミーティングが、先日行われていたということです。


これまで、「食」や「メンタル」の分野で、それぞれでアプローチされているプログラムは多々存在していたけれど、この二つを融合したものは無かった。


考えてみれば、「身体にとって優しい良い食」は、その一口一口が、細胞の質に影響を及ぼし、そうした上質な細胞の一つ一つの集合が、その心や精神を育み、近年で言う、腸内環境編の影響もより密接になっていくということを、多くの医学的な専門家、学術研究者が指摘している通りなのに。


不思議に医療の現場でも、「食」と「心」の融合したケアプログラムや、生活術についてのアドバイスノウハウは、それほどきちんと育て上げられる動きが無かった。非常に重要な観点なのに…。各業界での専門的な「職人」は沢山いたけれど、それを伝える仕組みやプロデューサーが圧倒的に不在だった。


各術や研究者としてのアプローチはあったかも知れないけれど、そんな権威者だけでは、実学としてのアプローチは実際には困難です。机上の研究論は、実学書としては不適切なことが多々あるからです。


そういう意味でも、おそらくこうした醗酵という行程を経た「機能食」と、「心の立て直し」というテーマに絞ったプログラム講座を、自宅で誰にも知られず、こっそりと学べる形で提供出来るよう、プログラミング化を進めている人は、まだ余りいないのではないかと考えています。


しかしながら、申し訳ないけれど、最初の土台作り、環境整備は名古屋を主体になってしまいます。そして多分…、こうした心のストレスを日々強く感じている人は、これまでのサイト閲覧統計を見ても、関東圏が圧倒的に最も多かった。


その意味では、本当は東京からのほうが、確実に波及実績への可能性が大きいことは分かっているんだけれど、いろいろな諸事情により、こうした流れになりました。


しかし、ITでの全国に向けての情報発信や、近い将来は東京でも準備を進めて行く考えでいますので、どうか東京エリアの方は楽しみにしていて下さい。


このサイトでも何度かセルフワークショップのテーマ題材としても、何度かご紹介をしてきました「負のスパイラルからの抜け出し方」「心の立て直し」についてのセルフワーク。


大方のセルフワーク動画、音声ガイダンスツール、ワークショプツール用の資料整備が終わり、あとは講座開催、教材販売への情報発信に向けてのさまざまな環境整備を残すところとなりました。


夏〜秋頃までには、いよいよスタートへの「ランチアップ」のボタンが押されるものと考えています。


ワークショップ用の常設オフィスも、ついこの間、正式契約が済み、着々と準備が進められている感じです。


場所は、名古屋栄の一等地。周りは三越、パルコ、松坂屋、LOFT、丸善、さまざまな著名なブランドブティックショップに囲まれたビルの10階です。


ここらは、かつて名古屋・尾張徳川家が指定する、御用達商人の本家が立ち並ぶ、今でいう東京銀座のような様相を為すところでした。味にうるさい地元の人達は、名古屋駅周辺よりも、殆どこの界隈で買物を済ませるくらい、いまだ名店がひしめき合っているところでもあります。


ですから、美味しいレストランや食材店、日本酒やワインの専門店もたくさんあります。名古屋以外から来られる方も、ワークショップ以外にも、「名古屋めし」を堪能する楽しみも同時に満喫して頂ければと思います。味噌カツや味噌煮込みうどん…。たまりません。(笑)。


今後は参加される方々を、より丁寧にワークショップ効果を得られるようにするために、基本的な前提として、その都度、テーマ別での少人数制での講座を、年間での春夏秋冬、各シーズンごとの開催として活動していく予定で考えています。メイン講師は…多分、当面、私(和久)です(笑)。


是非とも、いらしてくださいね。その節は心からお待ちしております。