【針先微調合初手与3の法則】

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あなたがもし、自分一人で小さい規模で活動をしているなら、それはとても幸いです。

例えば何かを始めようと準備を考えるとき、大きなサークル内では、いろいろな価値感を持つ人がいるので、それらを「一つの方向にまとめる」というステップが、本題にとっかかる前に必要になるけれど、一人だと自分の感性だけで自由に進めて行くことが出来るので(それが正しい方向に進めて行くことが出来るかどうかは別として)、精神的にはとても楽です。


よく、「いろいろな価値感を持つ人間を排除しないで、チームに取り込んだほうが良い」ということが言われるけれど、それは大きなエネルギーを創出し、対象となる場が、ある程度大きな規模になるなら、その有効性が活かされていくと思います。


でもあなたが一人か、小さな規模で何かを始める時は、やはりそこに集まる人間の「波長」というものを無視することは出来ない。言い方を変えれば…「価値感」。価値感の波長が同じで、実績を持つ人と組む。或いは、そういう人を師匠として参考にする。実績を持たない物同士の場合、結果を出す力がゼロ同士なら、何人集まっても結果は悲惨なものになりやすい。力が付くまでは何らかの「師匠」が要る。そして師匠は、例えば思想、実務面、経済等、ジャンルごとに複数いても良い。


結局、価値感が根本的に異なる人は、あるどこかに向かって進めていく準備において、それまで積み上げて来た流れを阻害したり、無駄に終わらせることも多い。


もしこの現象を大きく包み込んで捉えることが出来るのなら、その出来事から、目標達成やゴールに到達するための貴重なヒントを見い出せることもあるが、主催者や活動の中心人物に、その力量が育っていない場合は、”反対勢力”は挫折への大要素になってしまう。


自分自身のものごとの創出エネルギーが、まだ充分に成熟されていないと感じる場合は、極力、その「創出ステージ」〜「成熟ステージ」までは、同じ価値感を持つ人間同士で進めて行くほうが良い。やはり「波長が合う」というのは大きい。補い合いも早い。ビジネスを行う場合でも、「思想、人間教育」を重視する人が、「金儲け」しか興味を持たない達人に師事しても、違和感を覚える。その逆もしかり。


焦っているときは、つい目先のゴールばかりを優先させがちだけれど、波長が合わない人間と組むと、結局はムダも多く、遠回りになるので、自分がしっくり来る人の場を求めるほうが、楽しく取り組むことが出来る。楽しいということは、長く続けられるし、努力という感覚無しでより「深掘り」出来るので、結局、資質や潜在的な力が発揮出来てしまう。


このことは、例えば、ある場を主催し、そこから広がる人たちに対してもいえることで、ただの暇つぶし的なナアナア集団で終わらせたくなければ、やはり最初の「テーマ」「志・こころざし」を可能な限り、ピンポイント的に価値感を「絞り込む形」できちんと提示しておくことがとても大切に感じる。つまり針先同士をきちんと合わせるかのような緻密な作業を、さらに何度もトライ&エラーで微調整するかのような世界。


でないと、折角の出会いや、その出会い後に個々で出されていくさまざまな情報、時間、価値感が最後に「ゴミ化」する恐れがある。


そこには大きな労力や、経済的なエネルギーが投資されてきたはずなのに、そういう貴重な情報や価値が、波長の合わない人間とは上手くリンクしないことが多いし、大した活用もされない可能性もある。余程力量がある人や、機能が成熟している組織なら大きく包み込んで、「異質なものを活用する」ように配慮してくれるけれど、通常は、”猫に小判”状態になりやすい。そうなれば殆ど価値を理解してもらうことは出来ない。


本来、価値には「翻訳」という作業が要る。価値感が異なる人種には、そのままでは咀嚼が出来ない。飲み込めない。言葉が異なる国の人と同じで、「伝え・理解させる」という二つの作業が必要になる。


人の持つ価値感は、本当に星の数ほどある。波長がピッタリ合う人は「翻訳」が要らない。こうしたご縁は、お金や他のものには変えられない実に貴重な世界感を持っていると思う。


また、そういう波長の合う人との出会いは本当に極少数なので、人生の宝物として考え、同じように共に成長させられる関係として大切にするといい。


大好きな、ある一つのことを何年も一生懸命にやり続けていると、自然とその波長に会う人が集まってくる。今は昔と違って、情報発信の無料WEBツールの宝庫だから、本当に自分に波長が合う人との場を生み出したいのなら、最初はやや「ゆるめのカテゴリー」で集め、次第にターゲットゾーンをじっくり絞り込む形で、ニッチサークル化を目指すと良いかもしれない。


でもあくまでも人間は実際に会ってナンボの世界なので、WEB上だけで全ての人間関係の絆を仕上げようとすることは考えないほうが良い。


WEB上のつながりは、結局は”薄い繋がり”でしかない。


最近は、そんな”薄い繋がり同士”でのやり取りで、「心が傷ついた」とか、いろんな犯罪が多発する傾向があるけれど、もともと、”薄い関係”しか築くことが出来ないシステムの上で、相手の生身の表情、声質、鼻息等を感じないまま、お互い勝手気ままに発言しているのだから、そこに自分が求めたいときにだけ、深い絆をどれだけ追い求め、自分を認めてもらおうと期待したところで、結局辿り着く世界は”表面的な世界”なのだ。


こんなものは軽くて薄っぺらい。そこに感情を委ねてしまう事そのものにも問題が有る。


実際には、このような場でのやり取りなど、時間が経てば、いつの間にか何を言ったのかさえ忘れてしまう。記録が残るから、見れば思い出すだけの話だ。何を自分に発せられたのかを、いつまでも囚われこだわるから、感情が何度も吹き出す。いつまでもそこに囚われることをせず、気にしなければそれまでのことだ。


相手構わず不快なことを平気で口にする人間の精神性を考えれば、まともにその意見を気にし続ける意味がどれほどあるのか。小さな子どもから、もし「馬鹿ヤロー」と言われたら、まともに頭にくるのかという次元の話に過ぎない。


よく”炎上”ということを最近マスコミでも取り上げているけれど、まるで実際の家が家事で消失したような大騒ぎで表現し、こうなったら最後、もう二度と取り返しがつかないような感じで訴える。でも冷静になって考えてみれば、少し時間が経過すれば次第に元に戻るし、悪いことを言ったのなら誠実に謝れば良いだけのこと。


人間は神様と違うので完璧なことを24時間出来る訳ではない。どんな著名人でも、日頃、聖人ぶってコメントしているTVコメンテーターだって多分、日常生活の中で間違いは侵す。人間というものは本来が未熟。だからそういう人間が行うものなら、時には失敗もあるし、いろいろな社会のシステム、ビジネスの現場でも、未熟なシステムが殆どだということ。勿論、完全性を目指したいのだけれど、本来人間はそういうものなのだ、という感覚で見てあげると、結果、自分にも無駄なストレスを溜めないで済む。


最近、あるビッグデーターに関するTV特集番組で、こういう人間が”炎上の先導役”になっていることが分かって来て、来訪者の僅か0.1%の割合らしい。この0.1%の自分こそが唯一正しいと考える”自己正義人間”が放つコメントに、約20%の人間が何となく追従し、さらに20%がそこに同調する、という法則性があるらしい。


この0.1%の人間の特徴は、まるで重箱の隅を突っつくようにして、アラ探しをし、ツッコミを入れてくる。確かにそういう人間は居て、それを正義からの行動だと考えている。だったら、きちんと自分の姓名を明かし、堂々と討論をすれば良いと思うけれど、それはしない。自分だけ安全なところにいて、責任を問われないステージから、感情的に言いたいことだけを言う。


それをするから、現実の社会の場で、人から阻害されていくのに…。自分の置かれている現実と真正面で課題を取り組みをせず、どうすれば責任を取らずに済むかという逃げることを考え、課題や問題解決への本質や根本を見ない。


母親の肩越しから、「おまえなんか…バ〜カ!」といっている子どものようなイメージだが、こうした「精神の脆弱さを持つ自分」を、勇気を持って自身できちんと受け入れ、再度、そこから精神を成長させる学びをしないと、ずっと一生、自分を過小評価し、失敗体験の責任を他人のせいにし、社会に溶け込めず人間関係が苦手なままで終わってしまう。


こういう人は元々が繊細で優しい人間性を持っていて、感受性が人よりも敏感なことがある。たまたま自信を失い、人に自分の存在を認めて貰いたいという愛に飢える人生を過ごし、底辺に寂しい気持ちが根強く残っていると思う。だからといって、やりたい放題ではいけない。こうした相手の心を無視の、”感情の垂れ流し行為”は、どこかで自己制御する心の技術を養わないと、どんどんと負のスパイラルに落ちていく。


このようなネガティブ発言やいじめをする側は、愛に飢餓感を持つ人間メッセージなので、そこに調和が取れた内容など殆ど無いし、むしろ「寂しい…助けてくれ〜」という叫びが屈折した形で出されている位に感じ取れば良い。学校や会社等でのイジメも、それを仕掛けてくる人間には、その心の底辺に似たような図式がある。


それでも誰が何を書いたのか、言ったのかを気にする人が多くなっているのは多分…逆に、「本当に波長の合う人との縁」に恵まれていないことの現れではないかなと。


と同時にWEBの世界は、さまざまな価値感の人間が集まるシステムになっている。さまざまな感情がそこに飛び交い、基本的にはそれぞれがいいたいことを言う。人間関係に免疫力が育っていない人にとってそれは、初対面で電車の中で、いきなり面と向かって「お前のその行動には問題があるぞ!」と言われるくらいインパクトがあるのかもしれない。でもそれは「信頼感」という「ツナギ」が無いからだ。互いに信頼感が揺るぎない相手から言われたら、受け取り方もまた変わってくる。


WEB上だけのやり取りをどんなにしていても、実は本当はどういう人なのか、相手のことはそれほど知らないし、分からない。


本当に自分のことを理解してくれて、波長がズシン!と合う人との出会いを求めて行くのなら、先ずは、自分自身のことをもっと客観的に分析し、良い所、そうでないところ、何が好きで、何が苦手か。上手くいく行動パターン、いかない時の行動パターン、こうした思考のパターン、判断のパターン等をじっくりと見つめ分析し、ノートや紙に書いてみる。PCではなくて、実際に紙とペンで書く。


「考えて書く」という行為は、キーボードで入力するより、別の脳の領域に影響する。記憶に深く入り込む。だから自分を洞察し、それをまとめ「考えて書く」というのは、自分の人生を生み出すのと同じだ。


その上で、自分が本当に好きなこと、趣味、ライフワーク、仕事について取り組み、人より深くその世界を掘り下げることを続け、その独自の世界観を情報発信していけば、その波長にバシッと合う人達が、時間と良質な労力との「熟成」と共に【未来場】が醸し出され、自然に集まって来る。何度も紹介している10個のキーワードについて、幼少期から現在までのセルフワークをすれば、より緻密に自己分析データーが整う。


そういう意味でも、どんな現状の結果も、基本的には、それまでの自分の蓄積して来たこれまでの責任が大きく関与しているということ。例え失敗し、それが特定の人間が関与したことで起こったとしても、そういう土壌を作ってしまったという意味で、あなた自身の積み上げて来た影響は大きい。


でも、人生は100個トライして精々、結果が出るのはほんの2〜3個だから、その意味でも、場の創出の力が未熟な人ほど、最初の行動は、じっくりと自分の特性をリサーチし、行動に移す対象テーマはじっくり絞り込み、その絞り込む対象は「独りよがり」ではなく、「他の人の喜び」にも繋がるかどうかをじっくり選んでスタートすると良いと思う。「独りよがり」は結果失敗するからだ。


これを、日本に最初にPCを紹介した、ある世界的に著名な経営コンサルタントは「一初手与与与」の法則と言いました。初めて行う場作りに関わる人に対しては、相手が喜ぶもの、しかも、その相手にとって、かつて体験したことのない初めての世界を3回「与え続ける」。見返りを一切求めず、さり気なく…。つまり「おっ!」と驚く感動を最低3回与える。


もしこれを、バッチリ「波長の合う人」にやったら…。あなたはその相手の人にとっては、無くてはならない人に、短時間で一気に昇格するのではないかな…と、つい想像してしまいます。


これらの一連の流れをタイトル付けするのであれば。

【針先微調合初手与3の法則】かな…(長い!)。


1年越しのロングランの取り組みになるかもしれないけれど、少なからず、あなたが今思っているよりも、想像以上の結果が付いてくることは多分「間違い無し」です。