オリンピック選手に見た「感動」の裏側

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ブラジルのリオ・オリンピックも、開催前は本当に無事、開催出来るのか…と心配しましたが、多くのドラマを生み出しました。


オリンピックに出る事自体が、本当に物凄いことなんだけれど、そういうとてつもない優れた技術を磨き、積み重ねてきた天才というか、ある意味「選ばれた人間」でも、世界中からそういう次元の者が集まれば、やはり、そこでも優劣はハッキリしてしまう。


参加する選手を眺めていて、一番興味があったのは、本番でどれだけ本来の力を発揮する練習を意識してきたか、技自体を磨くだけではなく、その技の技量が本番の緊張しているギリギリのところで発露させる「基礎底辺部分」。つまり【目には見えてこない世界での準備】を、如何にしてきたのかな…というところ。


例えばメダルを取れた選手と、そうでなかった選手。試合が終わった後のインタビューコメントに、普段の積み重ねてきた「重み」が明らかに異なっている。


「次回の東京開催でのオリンピックはどのように考えていますか?」というアナウンサーの問いに、予選敗退の選手は「…今度はもしメダルが取れたらいいと思うんですが…」と例外なく歯切れの悪い言葉で締めくくる。


多分、彼らの心の本音は「多分また無理かも…」という自己イメージを、心のどこかで持っているのだろうし、その凄い素質を「どんなことがあっても限界値まで絶対に磨き上げてやる!」なんていう覚悟は、その表情から伺ってもそれほど強く無いのかもしれない。恵まれた素質だけで勝負出来るのは国内レベルだけ。世界での決勝となると、その素質を、限界値まで磨き上げなければ勝負の舞台にすら立てない。たまたまライバルが少なく、選考基準を通れば参加は出来る。


金メダルや銀、銅などは、本当に紙一重、様々な運が大きく左右するのだと思うけれど、メダリストになる選手の殆どは、特に金メダリストになればなるほど、「最初から金メダルを取ることしか頭にない」とハッキリした強い決意を全身から醸し出されるオーラで感じる。


特にそれを感じたのは柔道では男子の大野選手だった。「自分は圧倒的な力量差であるべき。例え最低なコンディションでも金メダルが取れる状態で無ければならないと、普段から強い自覚を持って、技術とメンタルを磨き積み上げ、その準備をして来ました。」と。


だから金メダルを取った瞬間、「これは当たり前の結果だろうが」という顔と態度で、インタビュアーから「どうしてもっと喜びの表情をしなかったのですか?」と聞かれると、「自分は金メダルを取れるのは当たり前と思っていました。実際には嬉しかったですが、敗者のことを思うと、自分のことだけではなく、負けた相手を思い、きちんとした礼節で振る舞わなければならないと思ったからです。礼節をわきまえた潔い柔道。綺麗な柔道。そして圧倒する強い柔道。これが本当の日本柔道だということを最後まで示したかったのです。」


もう…言うことなしの言葉で、これぞ日本男子という感じ。まるで「武士」そのもののエネルギーだった。これこそ「サムライ」という姿。同じ女子のゴールドメダリスト、田知本選手も圧倒的な強さにかかわらず、静かな謙虚さが滲み出ていて、素晴らしかった。


反面…残念な結果になってしまった選手を観ていると、資質は多分メダリストと比べても全く遜色なかったはずなのに、何故か、試合の前から自分に制限を掛け、本当の力を本番で発揮できないようなゲームへの取り組みが目立った。


何故、こんなに違った結果になってしまったのかを考えると、単純には推し量ることは出来ないと思うけれど、やはり、普段、「何処に意識を置いて、毎日を積み重ねているか」に尽きると感じる。


「素質」だけでこれまで勝ってきた選手ほど、いざという時に、詰めの甘さが出ているように感じる。


「楽しく参加させてもらって…満足しています」


絶対、それは嘘だろうと思う。本当は「重圧に負けて情けない…」の言葉しか無いと思う。


特に、圧倒的に惨敗している選手ほど、こういうコメントが多い。これまでの自分の積み上げて来た「在り方」、特に「目に見えない世界」での在り方。劣勢になった時の自分の感情のコントロール技術、そこからどのように前に気持ちを向け、相手の出す気力を逆に跳ね除け、押し返すのかをもっともっと研究し、その技術を誰よりも探求して欲しい。何故、最後に詰めの甘さが出て来たのかを、誰よりも貪欲に検証して欲しい。


「オリンピック参加をエンジョイする」のは、より普段の力を発揮しやすくする上では、当たり前の世界であって、でも…敢えて言えば、多くの人の協力や思いを背負っている以上、そこをゴールにしていてはいけないと思う。


先程の男子柔道・大野選手、女子レスリング吉田選手、伊調選手程の次元には誰しも成ることは出来ないけれど、やはり、普段からの彼らが観ている世界観は大いに勉強して欲しいと思う。


卓球の愛ちゃんも、団体戦での対戦、ドイツの選手をあと一歩まで追い込んだところで、これまでの彼女の課題が表面化した。


「入るかどうかは50.50」という局面で、博打のような一か八かの打ち方をつい選んでしまうクセ。それで大半を失敗させ自滅する。緊張で集中力が散漫になる時ほど、このクセが出る。丁度最後のセットカウントの8ポイント目。あと3ポイントを取ると決勝に行けると意識した。緊張し、心の状態がこわばった。そして悪い癖が出て自滅した。


勝負事に「もし…たら」「…れば」は通用しないけれど、あと少しだけ自分をコントロールすることが出来、「責めの気持ち」を持ちながら、あとせめて1ポイントをツッツキレシーブでしなやかに返していたら、また違った展開になっていたかも知れない。きっと自分自身が一番それを分かっている。彼女の人間性としての優しさが、こういう勝負時に裏目に出た。


ここまで来る選手は本当に実力は紙一重。あとは目に見えない部分の積み重ねを普段からどれほどコツコツと行なっているか。


翌日、愛ちゃんは見事に自分を立て直し、ダブルスでシンガポールの選手に勝った。


試合後の彼女の涙が、全ての事を表していた。本当はキャプテンを受け入れるタイプでは無かったけれど、後輩たちを優しいエネルギーでいつも包み込んでサポートしていた彼女は、名前の通り「愛」のエネルギーに包まれた人だな…と感じた。あの可愛らしい泣き虫愛ちゃんも、もう27歳?…。時代は流れているなあ。もしこれで競技生活を終えるのなら、長い間、本当にお疲れ様。


男子卓球の水谷選手、決勝での活躍も含め本当に感動した…。そしてやはり中国は強かった。でも、日本も次回は分からないな、というところまで来た。


テニスの錦織選手と同様に、まだ親に甘えたい時期から海外に渡り、一人孤独に耐え、厳しい練習の毎日に明け暮れ、不安や愛の飢餓感に耐えながら過ごした。


「自分が本当に情けなかった…」と口にした後輩の吉村選手。目に見える技術力の探求だけではなく、普段の生活での、「目には見えない部分」での在り方が、こういう場面で出るのだと思う。水谷選手のエネルギーを学び、今のイザという時の自己価値評価の低さ、ギリギリに追い込まれた時こその、そこから這い上がる内面技術探求と、その習得にもっと意識を向けて今後を頑張って欲しいものです。


こういうギリギリの状況に追い込まれても、そこからプレッシャーを跳ね除け、光を浴びた選手と、自己評価の低いままに悪い方に安易に向かった選手の差は何処にあるのか…。それを洞察すると、そのまま普通の人たちの日常でも、同じ人間の「鏡」として教訓になる。


普通の人に無いものを「得よう」とするなら、自分の人生の「何と引き換える」のか。上手く行かない生き方をどんなにそのまま続けても、結果、”上手く行かない”ことが続くだけなので、その「引き換え」と「覚悟」を考えなければいけない。


何であれ、一生懸命に自分の資質を磨き、舞台で必死になって全力で表現するのは、人の感動を誘う。その感動は、常人ではとても簡単には真似できない次元での、彼らのそれまでの自分自身に払い続けてきた「代償」を、そこに感じ取るから。だから感動する。その選ばれし、たった一人の「重い代償」のエネルギーが、多くの人の「感動」というエネルギーに変換される。


…でも、その「代償」も、全てが「感動」に変わる訳じゃない。そこには高度な技術や精神力に合わせて、「運」「タイミング」「執念」の複雑な要素全体が、奇跡のように調和しないと得られない。


運動の資質に恵まれた「選ばれし天才たち」でさえ、この努力でこの結果。凡人が安易に真似できない次元の努力でさえ、結果は100%保証されない。


そういう意味では「人生は決して甘くない」けれど、努力を続けている姿を観ている人は必ずいるし、それらの人がイザという時に支えてくれる。そしてそこにこそ、人の信頼と感情を動かす「場」が存在する。


それは、私達の日常の世界でも、同じことが言えると思う。


クサい「スポコンドラマ」や「青春マンガ」じゃないけれど…。「積み重ねてきた努力は絶対に裏切らない」。


多くの人は結果が全てだという…。確かに勝負や経営の世界ではそうかもしれない。でも、個人的なところでいえば、その結果はどうれあれ、自分を信じ、そのギリギリの極限的な努力状態を継続していること自体、自分のステージを確実に引き上げるだろうし、それが出来てきた自分自身への信頼と誇り…。これは本当に自分を支える心の軸、人生での大きな財産になる。


スポーツの場は、すぐに結果が出るため優劣評価がされやすいけれど、でも、それは決して人格的な能力評価じゃない。実際に人生はそこからまだ続いていく。こうした努力を続けてくる場からの、達成感を通じた自分への内面的な自己評価が上がるのは大きい。結果に引きずられず、少なくとも常人より「努力をし続けられたことへの自己賞賛」はあってもいいと思う。


もともと、世の中は努力したからといって、そんなに結果がポン!ポン!生まれるようにはなっていないし、凡人凡才なら、なおさらの事。だから常人は「努力なんて…」というけれど、やはりその世界を突き詰めて生きている人には、あらゆる意味で人生の場は有利に働いてくる。


そして、「努力」を辛いと感じて我慢の心でやるよりも、「当たり前のこと」としてコツコツと、そんな自分の心の様子をロウソクの炎を眺めるかのように、出来るだけ「無心」で取り組む方が、自分に対する自己評価の次元が自然に上がってくる。でもこれはきっちりした「目標・目的」「志・こころざし」が無ければ出来ることではないけれど。


吉田選手は今回、残念ながら決勝で負け、4連覇は逃してしまったけれど、常人ではとても想像すら出来ない、これまでのさまざまな重圧や、気の遠くなる努力を継続させてきた精神エネルギーと、言葉では表すことが出来ない今回の苦い体験は、これから始まっていく「指導者として伝える側」での新しいレスリングの世界で、また沢山、後輩たちに新たな種を植え、それが必ず活きていくはず。


技術は衰えても、練習や人生の取り組み方はずっと教えられる。こうした歴史上に残る人の、生の言葉に教えを直接得られる人は、本当に幸せで名誉なことだと思う。


彼女は15年以上も、沢山の人に歴史に残る偉人としての「感動的な深い生き様」を見せ続けてくれました。時代の偉人としてその姿をずっと見させて戴いてきた私達は本当に幸せなことだと思います。本当に有難うございました。そして長い間お疲れ様でした。


4連覇が掛かった、霊長類最強の吉田選手を決勝で破った米国のヘレンマリース・マルーリス選手も、無名ながらそのオーラや気質は素晴らしく、感動的に美しかったし、しなやかで本当に力強かった。あの吉田選手を筋力的にも寄せ付けなかった体幹の強さは、多分、想像を超えるようなキツイ練習を積み重ねてきたからこその結果。


身体を左右に揺らし、これまでより少し気持ちが上ずった感じの、隣で立っている吉田選手を尻目に、あの決勝舞台を前に、控えにいる時の「力みのない静かで集中している気の質」を全身にまとう姿を見た時、「これは只者ではないな…。ひょっとすると…」と感じ、なるほど、新しいスターはこうして誕生してくるのかと思いました。歴史が変わる、まさに時代の変化を垣間見た瞬間でした。


何であれ、必死になって、真摯に前を向いて生きている人の顔は、実に良い表情をしているし、そのエネルギーは、本当に美しいなあと、改めて感じる連日でした。


今日は何だかオリンピックの感想みたいになってしまったけれど、本当に選手たち…。改めてドラマティックな感動を「有難うございます」。