人生後半への「熟考」 –  心の立て直し ライフレッスン ブログ – 心の立て直し セルフファシリテーション わく事務所 

WAKUがまだ二十歳の後半を少し過ぎた頃、
父親はあの世に旅立った。57歳だった…。

「まだ若いのに…」と、多くの人が言葉をかけて
くれた。葬式は盛大に行われ、多くの弔問客が
足を運んでくれていた。

いつの間にか、自分がその年になった。

そう考えると、そうか…、親父はこんな年で
死んだのか…。と、彼が57歳までに仕上げていた
様々な社会への功績を振り返り、自分の力不足を
感じてしまった。

小さい時、いつも家の中庭の離れで、多くの
「おとな達」がやって来ていた。

母親に「あのオジサンはだあれ?」と聞くと、
「あの人は市長さんよ」とか、「警察署の署長さん」
とか、お偉いさんが来ていることが多い不思議な
家だった。

だからといって政治の世界で生きている人では
無かった為、多分、いろいろな役職をボランティア
で行っていたから、表舞台には出ない一般庶民とし
て「政治活用に便利な人間」だったのかも知れない。

まあ、しかしそれはそれでその人間に見合う能力、
使命があるので、仕方ない。

人間には表の顔と裏の顔があるんだな、と実感
したのも、幼稚園に行っていた頃だった。

ある日の夜、家のお風呂に、知らないオジサンが
酔っ払ってパンツをはいたまま湯船に浸り、
だらしなく気を失っていた。

またまた「あのオジサンはだあれ?」と母親に
聞くと、バツの悪そうな顔で小さな声で答えた。
「警察の署長さんよ…」。

それ以来、警察の人も酔っ払いと同じ人なんだと
思った。(警察の人御免なさい。幼少の頃の思い出
なので、許して下さい。)

「正義」や「教育」を扱う人は、大変だなと思う。
人間らしさを少しでも出すと、社会から「ダメ出
し」を喰らう。

ここのところ、ずっとWAKUの今後の人生の
在り方を考えている。

勿論、今までにも考え、それなりに筋道はある。
しかし、毎年少しの軌道修正が必要になる。

体力の衰え、精神の方向性、価値観の変化、
交流関係や生活環境の変化等々…。

その現場や体感を味わらないと実感として
分からないことも多いからだ。

司馬遼太郎の「人間というもの」という本に、
「才能と仕事」という章がある。

その中に、こんなことが書かれていた。

「人には得手と不得手がある。人の一生は短い。
おのれの好まざることを我慢して下手に地を這いず
りまわるより、おのれの好むところを磨き、のばす。
そのことのほうがはるかに大事だ」


WAKUの根本的な「得手」とは何だろう…。

亡くなった親父は、人と人を繋ぐことが
根本的な「得手」だった。

社会的な混乱を招く為、絶対に表面化してはならな
い厄介な問題を解決する人間として、水面下で彼は
動いていた。

その「得手」を活かし今後の人生を仕上げる方法は
何か、あらためて考えてみた。

「問い」を発すると、それまで縁の無かった情報が
不思議と集まってくる。

ものごとに困窮し、混乱したら、まずは、
こうすると良い。

心を静かに落ち付かせ、現状をじっくりと考える。

何が今、起こっているのか、迫っているのか、
表に出てきたこと、潜伏しているが、やがて必ず
表面化する案件を紙に書き出す。

優先順位、重要度の高いものから、解決させるに
必要なことを別の紙に書く。解決の方法やその力が
無い場合には、「問い」を作る。

「○○を今の力、環境で解決する方法を提示せよ」
と「サムシングパワー(創造主?)」にエネルギー
をハッキリ強く発する。

これは不思議ととても効果がある。
多分誰がやっても同じように現象が起こると思う。
試してみてください。

その答えはどんな形でやってくるかは分からないけ
れど…。何気なく読んだ雑誌、TV,新聞、友人と
の会話…等々。

情報が集まったと感じたら、必ず「有難うございま
した」と感謝を忘れずに。

WAKUも大体、一週間以内でやって来ます。

只今、たくさん集まった情報を整理整頓中…。

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