”いま”に生きる –  心の立て直し ライフレッスン ブログ – 心の立て直し セルフファシリテーション わく事務所 



最近思うところあって、学生気分を思い出しな
がら、「あること」を学んでいる。



それは「介護」の世界。



下は10代から上は60代まで、老若男女実に
様々な人が同じ教室に集まり、ワイワイ楽し
く、笑いながら今まで全く知らなかった世界を
一つずつ、それこそ小学一年生になったような
気分で、知識と技術を日々積み上げている。

介護というと「新3K」といわれるほど、
ハードできつい仕事といわれている。

不思議だが、実習時間に「麻痺を持つクライア
ントさんの役」でベッドに横たわると、何故か
しら本当に病人のような気分になり、気力も失
せてくる感覚に包まれる。


明るい未来のイメージなんて、とても感じるこ
となど出来なくて、きっと介護を受ける方々の
多くは、「なぜ自分はこんなふうになってしま
ったんだろう…」と、一人、家族や知人から離
れ、孤独感に包まれた寂しさを胸に抱きなが
ら、日々老いていく自分を感じているんだろう
なと思ってしまった。



その環境に接して初めて、その環境にいる人の
気持ちに本当に近づくことが出来んだなと、模擬
体験ながら弱者の世界を実直に理解出来る感覚を
得ることが出来てとても嬉しかった。



恥ずかしながら、これまでは
「理解していたつもり」
だった。



介護の中では排泄にまつわる問題も多い。
例えば、おむつの中に手を入れ、指で便を取り出して
しまう「ろう便」という行為。



普通に考えれば全く理解出来ない。



しかし本人にとっては、自由が利かない麻痺した体で
おむつの中に排せつしたものが、いつまでもあるのは
気持ち悪い。でもそれが思うように言葉や態度で伝えられない。

だから、唯一使える方の手でそうしてしまう。


突然、施設から走り出て、表の交通量の多い道路に向
って、指差し「あーあー!」と訳のわからぬ奇声を何
度も発するおじいさん。そこには別段、何も起こって
はいないのだけれど、彼の眼には<幼い女の子が転ん
でしまい、車に轢かれそうになって危ない!>という
光景が見えている。



「嫁が財布からお金を盗んだ」という虚言も、
痴呆老人の良くあるパターンだ。


人間は、安全なところにいると、こうした世間
的に言う「弱者」におられる人に対して、つい
上から目線でものを考え、彼らの一見「理解しに
くい独特の行動」の裏側に隠された意味を見過ご
しがちだ。


しかし要介護の人や心身の機能問題上、社会的
自立を訓練されている人々も、当然ながら「健
常者」と同じように、プライドも感性も備わっ
ている。だから、当然、見下されたり、小さな
子供に接するような態度は、本当は彼らのプラ
イドも傷付くことが多い。

「普通の人と同じ目線で接していくのが、実は
うれしいと感じる。」と施設の先生たちはそう
言う。



そして健常者は心身の不具合が起こる病気やア
クシデント的な不幸な出来事など全く自分には
無関係と思いがちだが、それは本当にどうなる
のか全くわからないのだ。




ずっと楽しくしてきたある音楽関係の友人か
ら、「病気になっってしまった…」と最近突然
メールが来た。



「癌」だった。




ほんの1か月前に、コンサートをし、華やかな歌
声を大勢の人々に発して拍手喝采をされていた
のに…だ。

メールが来て僅か半月。

彼女は入院先で全身管だらけになり、自力では
もう立つことさえ出来ない。排泄さえ自力では
出来ないほど日々衰弱が激しい。


どうしてあげることもできないのが本当にもどかしい。

が、ある意味、彼女もこれまでの彼女自身の
生き方の清算をさせられているな、と感じた。



このことを別の友人と話していて、ふとWAKUの
昔の病気をした体験を思い出した。



何十か月も病室の白い壁に囲まれ、明日の希望
も全く見えない中、(今は昔と違い、入院環境
学的に体力回復への色彩も考慮されているとこ
ろも増えているらしい)、太陽の光を浴びなが
ら外を何気なく歩く人びとを、本当に羨ましい
と感じていた。



「外を何気なく歩く人は、「歩ける」というこ
とを、きっと別段「素晴らしい!」と感動して
はいないだろう…」。きっと「あーあ、こんな
暑い日(寒い日)に仕事しなきゃならないなんて
嫌だな…」くらいが、関の山かな…と。


でも「そう悩める」人がこのときは本当に羨
ましかった。



そういう意味では、一度命ギリギリの「どん底」を
体験してみるのは、辛いけれども大きな心の「財産」
を得ることが出来るかも知れない。



「過剰な豊かさは真理を遠ざける」と東洋の賢人
は言い伝えて来たけれど、底辺を体感せずに、
豊かさを先に得過ぎると、大体は「ダークトリ
ックの罠」に嵌る。

もがいてももがいても、体が深みに沈む蟻地獄の罠。
絶頂から奈落の底に一気に突き落される。



脅すつもりはさらさらないが、このパターンに
陥る人は本当に多い。



自分だけの「快」を追い求め過ぎると、自然界
は不思議なほど非情にダークな世界へと「罠」
を仕掛けてくる。そこに容赦は無い。



友人のまたその知人に、旦那の汗水働いて稼い
だお金を湯水のように使い、夜な夜な高級ディ
スコでブランドシャンパンを抜きまくり、どぶ
に捨てるかのように数日で何百万をあっという
間に使っている「セレブな奥様」もいる。何が
理由かは知らないが、ストレス発散だそうだ。

本当に”バカヤロー”である。
そしてこういう話は本当に虚しく悲しくなる。



絵に描いたような「ダークトリック」のパターン。



少し頭を使えば、生きたお金の使い方などいく
らでも考え出せる。途上国で200万あれば、
そこそこ立派な教育施設が建つ。

「無知」が問題を引き起こす。
ケンカも、病気も、貧困も。

砂漠化したエリアや、水環境が悪く、生活用水
のための水資源を強く求めている国もたくさん
ある。



ドンペリ一本で、何百もの苗木が買える。



こうしてみると、五体満足であるのに、自分の
精神の成長や進化とは無関係な出来事に一喜一
憂し、それほど意味を感じない「表面的な流行
や体裁」を整えることに明け暮れ、心やから
だ、金銭のエネルギーを無駄に消費させるの
は、ある意味、なんと勿体ないことなのか。



自分の命の使う方向性にちょっとだけ意識を向
け、考えてみると、今まで気が付かなかった
「自分を幸せに生かす」ことに気が付くチャン
スは驚くほどやってくるものだ。



逆に、平々凡々に日々生きていくことができて
いることが、どれほど幸せで奇跡のように恵ま
れている出来事であることか…。



”いま”出来ることを、自分しかできない方法
で、真摯に一生懸命向き合う。



価値の大小はいとわずだ。



この姿勢こそ「自分を幸せに生かし」、周りの
人や社会にもその恩恵の流れを創ることが出来
るのだなと、あらためて感じる。

いつまでも「いる」と思うな、「運」と「理解者」。

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