手造り味噌完成♪ –  心の立て直し ライフレッスン ブログ – 心の立て直し セルフファシリテーション わく事務所 

1,2年置きに味噌を造るんですが、昨年(2012年)の
二月に仕込んだ味噌を開けてみました…。

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常滑焼の壺に20KG~30KGを仕込み、ゆっくりと熟成させます。大豆も、塩も、麹もこだわりのものを、毎回知り合いから調達するのですが、今回は、別の店で仕入れ、麦と米の麹味噌にチャレンジしてみました。

毎回造る赤味噌ではなく、今回は米麹と麦麹を多目にした合わせ系の味噌。どうなっているんだろう…。カビは生えていないかな…。とちょっぴり心配ながら、ゆっくり蓋を開けてみると…。



「大成功~!!」
良い出来かどうかは香りでほぼ分かります。


今回は、特に麦麹の割合を多目にしたので、
ちょうどビールを発酵させるときに出てくる
華やかなフレーバー風味に近いものがフワ~と
漂ってきた。

そこに大豆の熟成香と、米麹のほんのり
甘い、日本酒のもろ味のような(甘酒風味というか)
香りが渾然一体となって調和的に「美味しいよ~」と
言わんばかりに迫ってきます(笑)。



ちょっと舐めてみると…。
う~ん、絶妙な麦と米、大豆のバランス。
香りも豊かで、マイルドな塩加減。

麹もいつもより20%ほど多目に仕込んだ為なのか、
深くてリッチな味わいに仕上がってます。

自画自賛で恐縮ですが…(汗)。でもウマイ!



これを炊き立てのアツアツご飯をおにぎりにして、
この手造り味噌を湯気が「フワっ~」と漂う米の上に
チョンと乗せでいただくと、口の中で、日本の
食文化の味が一気に広がります。


「あー!日本人に生まれてヨカッタ…」
と心から実感する一瞬です。


味噌なんて、今やどこのスーパーでも売っているし、
いつでも手に入るのが当たり前になっているんです
が、アメリカのアイオワ州の田舎町でも、八丁味噌
は売っているんです。

でも小さな袋に入っていて、日本円で¥2,000位
する高級品。日本を離れて一番辛かったのは、日本の
本物の味を自由に味わうことが出来なかったことです。

だからこうして手間は少しかかっても、
余計なものが一切入っていない安全な味噌を
自由にいつでも食することは、WAKUにとって、
何者にも変えがたい贅沢なことなんです。


日本では水道をひねればすぐに「ジャー!」と出てく
る飲料にも使える水も、アメリカではカルシウム分
が強すぎて、そのままでは飲めない。


そこで「リヴァース オス モシス」という
溶け込んでしまったカルシウム分を純水にろ過する
ための特殊フィルター付きの浄水器を使うことで、
一昼夜かかって、「ポタリ…ポタリ」と雨上がりの
水滴のように、ようやく小さなバケツに一杯だけ、
飲料水用の水を溜めることができる。


そんな水環境だったので、一番の贅沢は麺料理だった。
貴重な水をたくさん使って茹で上げるそば、
うどん等の麺料理は、そう毎日食べられ無かった
ため、大学の寮から自立をし、タウンで一軒家を借り
て住んでいたWAKUの家には、こうして麺料理をやる
という話を小耳にはさんだ日本人学生の友達が、
いつも大勢遊びに来ていた。


「平凡で当たり前」。
日本をずっと離れ、外から日本を見てきた体験は、
「当たり前」がいつも近くにいてくれるのでは無い
ことを、身に染みて体感したからこそ、その有り難さ
が実感出来るのかも知れない。



でも、その一見、表向きは「平凡で当たり前」の環境
が日々何事も無く自分にも共有出来るのは、その水面
下で誰かが凄い努力をしてくれているからだというこ
とを、私たちはつい見逃しがちになってしまうことが
多い。

震災体験後、私たちは「平凡の非凡さ」を学んだはず
なのに、時間の経過と共に、いつの間にかそれをまた
風化させようとする傾向が見られ始めている。


日本人は、春夏秋冬という四季風土の文化がある為、
どうしても過ぎたことを忘れ、新しいもの、「旬」の
ものへと意識を向けがちになる。

しかし、「体験」は次の未来への土台にしなければ、
「場」の積み重ねや、進化の土台が出来ていかない。



「学習しない」政治家や企業、大人が多い
と言われて久しいが、自分自身、そう言われないよう
に日々身を振り返りつつ生きていようと思う。

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