人生の「飛び級」

最近、企業の業績や景気が回復していると
マスコミ等で報道されているけれども、
いろいろ調べてみると、それは本当なのか?
と疑いたくなる。弱者にはほとんどピンとこない。

まだまだ混乱は起こり、弱者にはキツい時代が
これからもずっと続くだろうなと感じてしまいます。

こうした新しい価値観が次に登場する、いわば
その混乱期時代には、自分たちで国の支援を当てに
せず、言わば「自分を守る環境」、老後への
「自分年金」は自分自身で確保しようという
考え、動きが起こるので、「ネットビジネス」
や「小規模起業」というキーワードも至る所に登場する。

こうした情報を見ていると、その多くが「直ぐに!」
とか「簡単に1億稼げます!」とか、短い期間の内に
「直ぐにプロレベルの領域技術が会得出来ます」
みたいなタイトルで集客をかける事例が後を
たたないが、体験からみると、ほとんどは上手く行かない。

以前、「ネットビジネス界の大御所」といわれている
人の「○○ビジネススクール」という入学集会を
見る機会がありましたが、千人以上もの人々を
一カ所に集客する力を見て、「凄いなあ…」と
感心したものです。

さすが第一人者と思いましたが、その主催者は
いつも「1億稼ぐのは簡単です。そのノウハウを
教えます」と言っているにもかかわらず、
「この会場に1億以上、稼いでいる人は何人いますか

という問いかけに、手を挙げた人は僅か一人。

つまり、ネットビジネスでの起業の第一人者でさえ
人を成功させるのは「とてつもなく難しい」という
事実。

そのH先生も、手を挙げた方も、確かに
もともと貧困生活で明日をどうやって生きていこうか
という状況から、そういう成果を出せるようになった
人たちでしたが、本人達は「ノウハウ」で成果を
出した、と言っていますが、でもそれは真実ではないんですね。

嘘ではないけれども、決してノウハウで成功
したのではない。もしそうだとしたら、あの日、
もっと大勢の人が手を挙げているはずです。

それでも、このスクールへの参加費は20万以上。
失礼ながら実際に大したノウハウなどは無くても、
結果的に、その金額でも人が集まる。

冷静に観ると、このH先生がこれほど人を集めたのは、
彼の開発したノウハウへの魅力などではなく、
彼の優れたコピーの力と、彼の努力の軌跡を示す
数々の事例やデーターでした。

彼等が成功したのは、元々持っている資質、才能を
きちんと「掘り起こした事」と、「人並み外れた努力と研究」
を長期に渡り、「非凡にやり続けている」こと。

この二点に尽きると思います。
(多分、「継続させること」事体が、能力なのでは
ないかなと感じます。)



二人とも実際にお会いしたこともあり、
ある勉強会でも共に机を並べて学び合い、
成功する以前から知っていますが、
その努力や行動する力は半端では無かった。

そのコピーの力は、彼のものすごい努力と研究で
養ってきた成果。彼はそれを含め「誰でも会得出来る
ノウハウ」だと言ったのですが、現実は、
実践力を短時間に身に付けるノウハウなど
そう簡単に存在しているものではないし、
簡単に会得出来るものなど「無い」と考えておくほうがいい。

技術は実際に自分が現場で身体でしか会得出来ないし、
厳密に言えば、コピーのノウハウをいくら学んでも、
それは水泳や自転車乗りのハウツーと同じで、
「力量が身に付く」のとは全く異なる世界。



「失敗」という痛みを人よりも多く体験し、
それでも諦めずに継続研究を続ける。



そうすることでしか、「底力」は養われないということ。



「知っている」と「やることが出来る」とは、
全く次元そのものが異なる世界だという事。

「人生に飛び級は無い」

これが現実なんです。

そういう意味でも、このH先生がいう
「必ず成果が出せるノウハウ」で、実際に「成果」
を味わったのは、唯一この先生だけだった
ということです。

確かに彼は千人を集めた。一部の招待客を除き、
ほとんどの人は20万を支払って、全国から東京に
行った。その「まぎれも無い現実」がここには存在します。 
 …表向きは。

しかし、実際には何十回とこのHさんが販売する
ノウハウ商材を購入したり、セミナーに何度も参加し
学んでも、彼が口約していたゴールラインに届く
成果を出せた人は、この日集まった彼の愛弟子を
見ても、延べ数年間で「僅か5人さえも
いなかった」ということ。

「現実はいつだって残酷」です。

「いとも簡単に実現出来る」と言われ、
その気にさせられては、結局いつも裏切られる…。

「弱者」はいつも「強者」に翻弄され、
「無知な者」は「知恵のある者」の用意する道を盲目に歩む。

人生とはそういうものだ。
厳しい残酷要素に満ち溢れている。

だからこそ、私たちのような凡人や弱者は
知恵を付けなければならないし、
厳しい現実でも、逆風に遭っても
吹き飛ばされないように前に進む知恵と力を
養わなければいけない。

「人生に飛び級などは無い」んです。

いきなり、大成功したり、大金持ちになったりする事を
いつまでも甘く夢見ていてはいけない。

基本的には人生は残酷であり、厳しい要素に
満ち溢れているものなのだ、というところから
スタートは始まっていく。そういうものなのだと、
スタート時には心を構えておく。

これは「不幸しか見ない」ということとは違う。

どちらかと言えば、「不幸」を知らないと
「幸せ」の有り難さが分らない、という感覚に近い。

「不自由さ」を体感してみなければ「自由さ」の
有り難みと幸せ感は分らない。

いつだって、「現実」というものは、表裏の世界が
くっ付いていて、対局のそれぞれの世界が表裏で
存在している。

「飛び級」などをいきなり狙うのではなく、
「堅実」を選択する。

先ずは今、目の前にあるその現実そのものに、
一生懸命に向き合い、自分なりの目標を決め、
完全に”やり切る”こと。

こうして、凡人でも「堅実」をじっくり、
非凡に続けると、ある日、忘れた頃「飛び級」は
突然思いもしない方向からやってくる。

そう考える方が、人生がしっかり生きていけるし、
堕落したり、がっかりすることも少なくなる。

もういい加減に、「飛び級狙い」、美味しい
「完熟果実」ばかりを狙う依存的な生き方、
自立出来ていない人間の生き方はやめよう。

願っていれば「甘く美味しい果実」は向こうから
自動的にやって来て,努力などしなくても、非力な
今の自分のままで大きな口を開けて待っていれば
良い、などという都合の良いことばかりを願う生き方は止めよう。

繰り返すが、これは「不幸しか見ない」
ということとは違う。

「明日」は「今」、そのまた「明後日」は「明日」
が積み重なって、そうして一ヶ月後、半年後、
三年後、未来が実現していくことを考えれば、
如何に「今」という瞬間そのものをどう考え、
どんな方向を向いていくかが大切なことなのかが
良く分る。

だからこそ、現実を「お気楽過ぎず」、
「甘く」見ず、「堅実環境の実現力」を養う、
その知恵や技術。

その裏面としての「理想未来図」の両面を、
いつもバランスよく環境の中に取り込める。

そんな自分ならではの生き方は、
どうあれば実現させられるのか。

思い切って「捨てられるもの」は何か。
勇気を出して「取り込むべきものは何か」を、
考え実行する。



この考えをいつも内側で停滞させないよう
循環させることが、自分自身を「腐敗」させず、
常に「新鮮なエネルギー」と「進化・発酵させる
エネルギー」で満ち溢れ、何歳になっても
どんなに顔や身体がシワだらけで老いぼれても、
自分の「伸びしろ」をいつも信じて
意識や魂を成長へと向かわせ生きていく。

そんな生き方で、これからの日々を自然体で
生きていこうとそう考えるこの頃です。

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