“弱者”の歩み方

何を持って“弱者”と呼んでよいのか、正直戸惑う所も
あります。何故なら、人間は誰もが弱い所もあれば、
強みも併せ持つから。

でも、今回、敢えて「弱者の歩み方」という視点で
シェアをしてみたいと考えたのは、あるクライアント
さんの生き方を眺めていて、ふと考えさせられた事が
あったからです。

その方は、ずっと前から「人の為に自分を役立てて
生きていきたい」と口癖のように言っていました。

どちらかといえば、スピリチュアルな世界で生きて
おられる方なので、「具体的にあなたのどのような
能力や力を、誰にどうしたいのですか?」と、
あまり現実的な問いを向けると、明確できちん
とした答えが返ってこないのですが、
その方なりの「人の為に」という世界は
何となく内側にあるのだと感じていました。

しかし、結論からいえば「感情が離れている」
ところから、いくら物事を耳障りの良い言葉で
飾っていても、それはウスっぺらで表面的な
世界と似ている気がします。

偽モノとは言わないですが、どこか「他人事」の
ような世界でものを観ているのかと感じてしまう。

自分にその現実が降り掛かって来ても、そのように
感情的に思えるかどうか。ここがカギです。

人は「感情的な距離が近いもの」しか、その価値観、
本当の現実の姿を感じる事が出来ない。

彼女がそうだということでは無くて、「感情が近い」
という事例の例え話で言えば、地球の裏側で起こって
いる戦争での死者の出来事より、多くの人は自分の首
にとまる蚊の方が気になる。

でもそれを実際に動画で見ると、活字で見ているより
さらにリアル感が増しグッと「感情は近付く」。

よりその現場を「知ろうとする行動」をすればするほど、
「感情」という距離感はどんどんと近くなってくる。

これが「動く」ということ。

「動く」というリアルな世界での行動があってこそ、
その「素晴らしい言葉」に命が宿っていく。

もっと言えば、他人依存ではなくて、自分で一つ一つ
をコツコツと実現に向けてきちんと行動しているか、
ということ。

ただの無責任な言葉遊びをしているなら、
そういう生き方が何をもたらしてくれるのか、
もっと現実と照らし合わせ考える時間を持つと良い。

自己責任を伴わないような無責任な言葉なら、
簡単に口にしない方が誤解を呼び込まないで済む。

心の軸、つまり「志・こころざし」という、一つの
生きていく上での「哲学観」にまで、固めている
状態ならば、そういう言葉は“重み”を感じるし、
人からの信頼も集まる。

さて、その方は自分の生き方の中に、
ある種のルールを持っています。

自分を活かす現象は「楽しい現象である」。
自分に合わない現象は「苦しい現象である」というもの。

その方の一番苦手な世界は「経済」。
つまり「お金」の世界です。

しかし、今、一番その方を苦しめている現実も、
「お金」なのです。

「お金のエネルギーが集まることを避けて来た」。
ある時に彼女の口からこの言葉が出たことがありました。

結果、今、彼女はお金が集まらないことで、
自分自身の身の回りに起こっている様々な問題に
困窮し、精神的にも自分自身を「何も出来ない弱者」
として捉えようとしています。

しかし実際には、本当の彼女の潜在的な能力は
非常に高いものがあって、特に女性として、
特に「母的なエネルギー」は、そこに何も言わず、
そっと存在してくれているだけで、相手は自然に
その温かく柔らかな胸に包まれるようなエネルギー
に非常に癒される。

「そういう仕事がしたい」と、何年もいろんな
セラピーを学び、多くの時間と労力をかけて、
充分な技量を備えたのに関わらず、いざその
チャンスが整う段になると、全てを壊してしまう。

これの繰り返しをここ数年間続け、とうとう、
「ある出来事」がきっかけで、何も出来ない人間
としての「降参宣言」をしてしまいました。

この「負のスパイラル」は、果たして抜け出す事が
出来るものなのでしょうか…。

結論から言えば、「出来ます」。

この「負のスパイラル」から抜け出すには、
ある二つの課題に取り組む必要があります。

一つは、「表向きの目標」の実現に強烈にブレーキ
をかけている、自分自身が気が付いていない
「裏の目標」を感情的な部分と、理論的な部分の
両方できちんと理解し、納得すること。

二つ目は、その上で、自分を「弱者の立場」として、
どこからだったら、「表の目標」への実現を妨げる
ブレーキを踏んでいるもう一つの片足を緩めてゆく
ことが可能になるかを、日常の生活の中で実験して
行く事です。

一旦、自分の事を「弱者」と決めつけてしまうと、
自分の能力を「ゼロ」という世界に居るものと
極端に思考を向けてしまいます。

それまで、ある程度は自力の力で立って歩き、或いは
走る能力があったにもかかわらず、まるでハイハイも
出来ない「乳飲み子」のような非力な自分として、
“100%他人依存”のごとく、極端な何も出来ない
非力な弱者として考え方を変えてしまいます。

話しは少し変わりますが、私は自分自身の何度もの
挫折体験から抜け出す際に起こる不思議な現象に
ハッと気付くことが幾度も有りました。

それは、大いなる力に「ゆだねる」という感覚。

挫折をする時というのは、大体において自分の力に
信頼を失い、その非力さに希望や未来を失って、
まるで「八方塞がり」のような絶望感に包まれて
しまいます。

そんな「弱者」に自分が陥ったとき、”弱者ならでは
の生き方がある”と気が付いたのです。

つまり、どんな状態になったとしても、
心を落ち着かせ、冷静に自分を整理整頓してみると、
今の状況を抜け出せるヒント、きっかけつくりの
キーワードは「必ずどこかに存在している」という
ことに気が付いた。

今までの自分への「私はこういう人間」という
強烈な固定観念が、そういう抜け出すキーワード
を見えなくさせている張本人なのだということ。

「やってくるもの」は、「大きな目に見えない存在」
がよこすもの。自然のエネルギーには常に厳しさと
温かさの両面が表裏のセットとなって、一つの現象
として我々に体験させます。

ということは、自分にとって「楽しい事」は、
自分自身を成長させることだけではないし、
「苦しい事」は、それまでの「古い自分1.0」では
対応出来ないがための、「ほら…。ここに“自分2.0
にフィールドワープする”その壁を超えるための
ヒントがあるよ」という、マナコを大きく広げさせる
(強制的に)、「愛(厳しいけれど…)」なんだと、
謙虚に受け入れる心を用意することで、
見えなかったヒントが見えてくる現象といえるのかなと…。

だから、「楽しい事」だけが自分の命の方向性に
ピッタリ合っている生き方なんていう考え方は、
非常に現実離れした、「超極端な思考」なんだと
感じてしまう。

病気も苦痛も、次のUPステージが用意されている
からこそ「自然」が私たちとリンクしてくれている
現象なのだと感情と精神の両面で感じ取ることが
出来るようになったとき、きっと今の「八方塞がり」
からの脱出方法が分り、自分でも自ら動き出せるよう
行動することが可能になると思います。

弱者には、弱者ならではの行動の仕方がある。

それは、「小さく」、「今、出来るところから動く」
ということ。

いきなり「成果」を求めてはいけない。
「大きな成果」は考えてはならない。

設置すべき目標は成果ではなく、「小さく動く」
ということ。これが最も重要な成果として設定すること。

でもいきなり動こうとしても動く事は出来ないです。
これまで何年もの間、そうしようとしても、
全て跳ねのけられて出来なかったはず。

それは人間には、それまでの生き方のスタイルを
順守しようとする精神的な「自己免疫管理システム」
が働いているからです。

これは、それまでの自分の命を守ろうとする機能。
これが「自分を変える」ということを強烈に阻む
ブレーキの正体なんです。

つまり、いきなり自分を変えようとしても、
それは元々無理な話しであって、先ずは順番がある。

目標を設定するには、ざっくり分けると
「大きな視野でのもの」と、「小さな視野でのもの」
という話しを【伝わりやすくする3つのコツ】
http://wkwk.1siawase.com/index.php?QBlog-20140728-1
でも触れたんですが、ここでもお伝えしたいのは、
「大きな目標」は“やってくるもの”には、とにかく
それがキツく感じることであっても、逃げないで
真摯にきちんと向き合い、そこに潜んでいる最大の
テーマというか課題を見付けること。

その「逃げない」という姿勢そのものに、実は大きな
意味があって、弱者なりにも、そういう勇気を持って
真摯に「今」を一生懸命に生きている事そのものが、
不思議な背中を押してくれる「運」という不思議な
流れを引き寄せる。そういうものなんです。

借金を背負っているなら、借りている人に、
5千円でも1万円でも良いから、何とかして
知恵と努力と行動を組み合わせて返す。

決してそのまま放置しておかないこと。

「運」の悪い人は、全てを「放置したまま」で、
「仕上げようとしない」からです。

いろんな「出来ない」という理由を次から次と
見付けて来ては、中途半端でグチャグチャのままにしておく。

“やってくるもの”はあなたを成長させようとする
大きな意図を持った存在の配慮がさせているもの
なのだと、真摯に向き合い、弱者の解決の方法で
「動く」ことに腹を据えて意識を向ける事。

覚悟を決めることで、不思議と何とかなる。
逃げれば、絶対にあなたは変わる事は出来ない。
10年経っても。

そう、生きるということは、とても厳しい。

でも、それがあるから力も付く。
そして魅力が出て、とても「素敵になる」。
だから「生きる」っていうのは、本当は面白い。

痛みや苦痛は研磨材、磨き粉なんです。

取り入れ過ぎると自分を傷つけ過ぎてしまうけれど、
弱者ならではの生き方で、大きな成果を求め過ぎず、
謙虚にコツコツを取り入れ、潤いと適度な自分磨き
を真摯に継続していくことで、段々と変化をさせて
いくことは出来ます。

先ずは「裏の目標」である、心の「本音」を
客観的に自分を見つめ、自分自身への固定観念が、
どのような心の本音から出来上がってきているのかを
ノートにまとめ、整理整頓するところから始めて
見て下さい。

手順はまだまだいくつかここからあるけれど、
先ずは自分を変える意味でも、このステップは重要なんです。

「小さな目標」は、このノートに出した「本音」。
つまり、自分への「私はこういう人間である」という
強烈な固定観念が、本当にそうなのか。

実際に絶対的に変わらないその通りのままなのか。
誰が見ても、誰の目にも同じ評価が起こる「定義」
としてその部分が普遍のものとして君臨しているのか
を毎日の生活の現象や、自分の行動から発生する
結果から何度も検証を繰り返して欲しいんです。

これが「小さな目標」設定です。

少なくとも、「自分の変革」作業というものを、
まるでインスタントラーメンと同じ次元で考えないで
欲しい。

「自分を変える」という作業は、本当に緻密で
地道な作業なんです。「一瞬で変わる」なんていう
ことは決して有り得ない。

3ヶ月、半年、3年という取り組みへの時間、
そして熟成という過程を経て、少しずつ変化の
”その瞬間”がやってくると考えておいてください。

そして、“その瞬間”を体感し、そのコツを会得した
人こそが「強者」という世界に生きることが可能と
なる。そんな気がします。

社会的にお金で裕福になったからとか、地位名誉を
得たから強者であるという錯覚を、つい私たちは
持ってしまいがちだが、いや、実際にそういう評価を
得られることも多々あるけれども、それは外側での
評価に過ぎない。

実際にそんなものなんてあっという間に一瞬で
崩壊してしまうことなんて、毎日のテレビを見て
いれば誰もが良く分っている。

それよりも、意図的に“熟成”をさせ、人生の旨味を
醸し出させる生きる上での「調理技術」を会得した
方が、きっと人生を穏やかに楽しく生きていける、
そんな気がします。

“弱者”の側にいるということは、ここに最も気が付く
チャンスを与えられているということ。

“降参宣言”をしても、なにもしなくていいと
いうことでは無い、ということ。

そして、「ゆだねる」というのは、
そのままの状態でいればいいという意味では無く、
“やってくるもの”の中に潜む、テーマ、課題を
きちんと掘り下げ、真摯に向き合うという事を
一生懸命、ギリギリの状態の中でも勇気を持って
コツコツ行い、その上で委ね、任せるということ。

「楽しい事」ばかりに意識を向け、能天気に
気ままに生きていればいいということなんか
では無いということ。

むしろ、「苦悩」することでも、それを
「楽しんじゃう」という感覚。

これを忘れていてはいけないと、そう感じるのです。

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