「最善の一手」の見付け方

 

日本人は昔からシャイな部分があるとされていて、外から日本の人を見ると、確かにあまり積極的に自分をアピールするような文化では無いなあと感じたこともあった。外国にいても、日本人は日本人同士の集団で固まる傾向がある。

 

昔、日本を離れ、米国や欧州で生活、仕事をしていた頃、暫く振りに日本に戻ってみると、「なんて豊かで清潔で調和的な国なんだろう」と感動した事を思い出した。

シャイな部分は、同時に奥ゆかしさや、謙虚さという日本人独特の美しい精神にもつながっているんだな…ということを、日本という国にいて、内側からみていて実感することも多々有る。

 

街を歩いていても、車はほとんどピカピカに綺麗だし、ゴミも目立ったようには落ちていない。人も多いけれど、特に日本人女性はほとんどの人は小綺麗で清潔感がある。強く自己主張をしてくるような人は余り見ないし、余程、国同士の政治的な軋轢を発生していない限り、他の国の人をさげすむような態度や差別的な言葉を発することを目にすることもかなり少ない。

 

だから日本人の女性はアメリカやドイツでは、とても人気があった。
「もし彼女や結婚をするなら、何処の国の女性がいい?」とこれらの国々の友人に聞いてみた事があったが、「日本人女性」という声がかなりあって、とても人気が高かった。知人友人の女性も、海外で結婚し生活する人は少なくない。

 

ちょっとしたホームパーティーを開き、その片付けをする際、何も言わないのにそっとさりげなく率先して動き出してくれるのは、大体ほとんどが日本人女性の人たちだった。外国の男性はそうした行動を実によく見ていて、その日本人の繊細な心使いにいつも感心していた。これは韓国や台湾、ベトナム、タイ、カンボジア、フィリピン等の女性達にも同様に感じたことでもある。あくまで個人的な感想ではあるけれど、四季を持つ国のアジアの人達に共通することなのかもしれない。

 

あと、ある州のアメリカの大学での寮生活なんて、日本と違って、水道から出る水は硬水、つまりカルシウム分が多過ぎて、そのまま飲み続けると、腎臓に石が溜まり結石になるため、かなり高性能な浄水器を使わなければならなかった。

 

その為に調理やその他、生活するための飲料水にの確保にはとても不自由な思いをさせられた。

 

大きめのポリ容器(約3L位)に水を浄水器で溜めるのに、「ポタリ…、ポタリ…」と、まるで使い古した蛇口のゴムパッキンがボロボロになった時に漏れる水滴のように、延々と10時間近くも待たなければならなかった。

 

だからこうした面倒な日常体験があったため、個人的な感覚でいえば、最高の料理といえば、スーパーに行けば簡単に買える肉料理系ではなくて、水をふんだんに用意しなければならなかったパスタやうどん、そば等の麺料理だった。

 

勿論、水もスーパーで買えるけれど、毎日使うとなると、決してバカにならない出費になってしまう。なので、一時出費はかさんでも、多くの家庭は浄水器を通販で購入し活用する。

 

日本に帰国し、自宅でおふくろが水道水をジャージャーと、食器等の洗い物で流し続けているのを見たとき、思わず「なんて勿体ない水の使い方をするんだ…」と思わず注意したら、「あら…。あんたからそんなことを聞けるなんて…。2年の間にあんたも少しは成長したわね…。それを会社経営にも生かせるといいわね。」と諭されてしまった。

自分にとって、自己成長を確認できる耳の痛い「最善の一言」だった。

 

「最善の一手」の見付け方

物事の価値観を評価するとき、私たちはよく比較を
することで、その対象物を価値あるものなのかどうか
を判断することが多い。

 

海外で、飲み水での苦労を体験したことで、
蛇口をひねれば当たり前のように飲める水が出てくる
日本の有り難さを感じるのも、“比較”という世界を
自分自身が体験したからだ。つまり「体験知」の
引き出しが一つ増えたということ。

 

では「比較」というフィルターを通さないと、
その世界の本当の価値が出ないのかといえば、
そうではなく、そのもの自体の価値や機能は、
比較しようとしまいと何も変化した訳じゃない。

 

でも「有り難いな」という感覚を持つには、
そこに感情が伴っていないといけないし、
そういう感情はやはり「体験」というフィルターを
通す事で手にする事が出来る。

 

先の水道水は、別段、“全国名水百選”に選ばれた水
ではないし、綺麗な清水を汲んで飲み比べたら、
“カルキ臭い”と感じ、「なんだこんなもの」と、
感動なんてほど遠い感情を持つかも知れない。

“最善の一手”もこれに良く似ていて、ある問題に
直面し困惑している時、パニックになっている時に
少しでもそこから逃れられるような手段を先ず探す。

 

でもしばらくすると、また似たような現象が現れ、
そのとき、「ああ…、こんな方法ではダメだ」と
もっと他の問題解決の方法を試行錯誤で探す。

 

でも、これでいいと思うんです。順序としては。
最高の方法では無いかも知れないけれど、動かずに
八方塞がりになった状況からは脱出できる可能性が高まる。

 

つまり、いきなり「最善の一手」を掴んだ訳では
無いけれど、「体験知」という世界を通すことで、
より「最善」のフィールドに近付いたということ。

「動かなければ何も始まって行かない」

 

「あれも出来ない」「これも出来ない」と言い訳
ばかり言って実践をちっともしない人の特徴は、
メンタル部分で自分自身に「自信が無い」という
言葉を口にする人が多い。

 

実践や行動をするということが少ない人が多いので、
当然、「現場で使える知恵」という意味での引き出しが
極端に少な過ぎるからだ。上手く行かないイメージ妄想が
つい頭の中でぐるぐると回り続けてしまう。

 

こういう人は“ずば抜けた何か”を最初から意識し過ぎている。
マスコミ等で集まる成功事例での情報が、世の中に目立つように
アピールをしているので、どうしても最高レベルの次元にある
ものが多くなる。だから余計に非力な自分との比較を無意識に行う。

 

でもこれは“後から”でも良い。

 

それよりも、「自分の中では○○が比較的得意」
というものを先ずは見付ける。

 

そしてそれを、「今の自分にとっては最善」の世界に磨く。
「最高」ではなくて「最善」。現在の能力ではBESTということ。

大事な事は、先ず「はじめの一歩」を踏み出すという
現実を体感すること。その動いているという事実を
生み出す事。

 

先の水の話しでいえば、いきなり“名水百選レベル”の
水道水が出てくる環境が用意されていなければ
「意味が無い」のでない。

 

それは後から浄水器を用意するとかして
条件整備を進めていけば良い。

 

昔、あるテーマでセミナーをしようということになり、
その企画を主宰することになったご夫婦の奥様が
中心となって二ヶ月ほどかけて準備がされたことが
あった。

 

二人ともどちらかというと、スピリチュアル系の
世界にはまっていて、なんでも結婚をすることで
人生への気付きが高まり、精神性も成長させる事が
出来るという教えの教団?に入会されていた。

 

「相手は自分の鏡」というその教えを、彼等は
必死に学び、実生活に役立てようとしていた。

 

そんな彼等がセミナーを企画主宰してくれることに
なったので、全てを任せていたら、当日、広い会場
には僅か3人がポツリと座っているだけだった。

 

セミナーは予定通り行われ、無事終わったのだけれど、
終了後のミーティングで、「どのような集客準備と
広報活動をしていたの?」と聞いてみると、
「ほとんど何もやっていない」と真面目な顔で
答えられたことにビックリした。

 

さらにそのご主人が言った言葉に耳を疑った…。

 

「今回の結果になったのは、あなたが今日の状況イメージを日頃から持っていたせいだ!それが実現されたに過ぎないんだ。あなたの不勉強のせいだ。だから我々は何も悪くない!」

 

つまり、彼等の考えでは、「想念は現象を生み出す。一番の中心人物の想いのパワーが強力なら、宣伝などしなくても、それが世に広がり、自然と人は集まる」ということをどうやら言いたかったらしい…。確かに想念は物理学的にも物質に影響するが、これは理論を完全にはき違えている。

 

自分のすべきことを棚に上げ、余りにも無責任で、現実離れをしたその思考に、思わず絶句してしまい、しばらく言葉が出なかったのを思い出す。

 

あるクライアントさんに、素晴らしい記憶力を持つ理容師さんがいて、その人は天性のその能力に磨きをかけ、その業界の全国大会メッセージ部門で見事、優勝の栄冠を手にされた。

これがきっかけとなり、強味を基軸に、技を磨き上げる学習、研究・努力をする楽しさを知った。


現在はどうかというと、それまでの歩みはゆっくりながらも、10年の歳月の試行錯誤の準備期間を経て、平日でも大繁盛店。

 

だが、ここまで来るのに、とても多くの学び、時間と労力がかかった。

 

「成る」「成らない」は行動のタイミンが大きな要素を持つ事が多い。

 

ものごとに「…たら」「…れば」を言ってもどうしようもないけれど、
あのとき、もしすぐに行動に移していたら、この厄介な壁を超える知恵が手に入っていたのに…と後悔することは多い。

 

結局、人間は常に「楽をしたい」という本性が付いて回る。「楽をして行動しない」ことを選択していると、本当に必要な情報は得られない。それは大方、“不運”につながっていく。そういう行動をしない人を、社会は一般的に“不運な人”と呼ぶ。言い方を変えれば、いつも楽な方に流れて生きている“自己成長を諦める人”という意味だ。

 

 

先のご夫婦と、この理容師さんの両者との違い。

 

「今必要な、すべきBEST行動」をするか、しなかったかの違い。

 

実践が出来ない人多く見られるのは、
いきなり“ずば抜けた何か”を探そうとする。

 

その何かが無いと、何も生まれないし、
何も実現していかないと考えてしまう。

 

“ずば抜けた何か”なんて、最初から追っても分からないし、
そんなものは「後から」磨いていけば充分に対処出来る。

 

最初の入口は「自分の中では比較的○○が得意」
というくらいのユルい選択でも良いと思う。

 

「入り口」は自分が許せる興味ある世界なら、1~3つに絞り込む。

先ずはその世界での技術を最低でも平均水準以上、可能なら上位3%の世界に
入れるゴールを意識し、自分なりの「仕上げる」研究努力をしてみる。そして、最終的には一つに絞る。

 

そういう自己能力を「仕上げる」「磨き上げる」という体感世界を肌感覚で学ぶ。これが出来るようになれば、後は何をやってもかなり応用が効く。

 

行動への第一歩は、自分の中の「好き」と「得意」がクロスするところ。

そしてそこを起点とした「他利(自分以外への役立ち)」への行動。ここをコツコツ諦めず磨き上げる。こうした流れを、案外、人は良く観ているものだ。偽物も拡散が早いが、こうした「本物」も、あっという間に拡散するのが、今の時代。

ここから、豊かで幸せに生きる「最善の一手」が見付かっていく。

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