「本質」を生きるという意味

ここのところ、親しくさせていただいていた友人、尊敬していた
方々が次々と亡くなられ、いささかショックが抜け切れない。

江戸時代から製法を引き継がれている伝統的な酒造りのT当主、
シャンソンの歌声で多くの人々に夢や希望を与え続けていたHさん。

今月は、クリントン元大統領やサッチャー首相、ピーター・ドラッガー氏の
英語同時通訳等で世界で活躍されていた、日本の同時通訳の草分け的
存在だったI先生…。

誰もが、まだまだこれからという時なのにかかわらずの早過ぎる旅立ち。
一人の人生って、本当に短くもあっけない。

しかし、どなたも皆それぞれに自分しか出来ないスタイルで、
世の中や人々に多くの恩恵を与え続け、常に「本質」という世界を
しっかりと捉えつつ、その短いながらも充実し、幸せな人生を
最後まで全うされて逝った。

今回、彼らの死を見つめていて、改めて感じたことは、
「本質」を目指し、これを深めていくことはとても大切であり、
それが出来るのであれば、自分だけでなく、多くの人びとにも
大きな恩恵を共に分け合える可能性が高くなるんだなと。

と同時に、人よりも多くの勉強と修練、やり抜くという継続の力が
必要になる分、誰もがぱっと出来る簡単な生き方ではないんだということも。



あなたが日常に毎日降り注いでくる出来事を、全てを万遍なく
こなそうとすればするほど、結局は、それはやがて上手く行かず、
凡庸な結果になってしまう。

人の個人的なエネルギーなんて、元々は誰もがそう大差があると
いう訳ではなくて、一人で出来る力なんてたかが知れている。

あなたが忙しくて、あれもこれもと手を出せば出すほど、
凡庸という世界はあなたを取り囲んでいく。

一人でどんなに頑張っていても、「ひとりよがり」では空回りを
するだけだし、凡庸な結果では、その評価は下がり、結果、
それをしているあなたの評価も下がる。

一人の僅かながらの力を、「どこに集約」をさせていくのか。

「本質」という世界と、その個人の僅かながらの「集約」という
力の世界をどのように融合させるのか。

彼らはこのことをメッセージとして伝え、残してくれた。

だから、今回はそれをあなたとシェアしようと思います。




何かを始めるということは、何かを失うということと引き換えに
するということだし、必要ではない何かを整理整頓しなければ
ならなくなるということ。

いざ整理整頓を始めるにも、そこに何らかの取り決めや規律、
ルールを決めてから行わないと、結果、情に翻弄され、精神的にも辛くなる。

そういう意味では、そこにやはり「コンセプト」という世界を
取り込まなければならないと感じてしまう。

最近、他界した知人、友人達の出来事が他人ごとでは無くなり、
自身も命と向き合わざるを得ない状態にあることを知ることとなった。

とても残念なことだけれど、それもまた「現実」。
「現実」と正面切って堂々と向き合うのは、本当にエネルギーが
必要になる。でもこれも「本質」。

だからこそ、余計に残された人生をどのように使い、
どのように終焉を迎えたら良いのかを、以前よりも強く意識する
ようになって来た。

「死」と向き合うこと自体は、以前にも病で体験したことなので、
それほどの恐怖は感じなくなっているけれど、敢えて不安的な
要素があるとすれば、中途半端な生き方で人生を終わって
しまわないかというものは有ります。



「本質」を見ず、表面的な生き方で生きるのは、ある意味とても
お気楽な生き方だと感じてしまうが、多分、それではきっと
死ぬときに後悔する。そう実感するだろうな…と思います。

折角の命を与えられたのに、いたずらに表面的な生き方で、
本来の自分の生き様というか、その命を使っていく方向性も
分からないままに人生を終えてしまうのは、
とても残念で勿体無い生き方だなと。

折角、日本に男として生まれ、日本人として生きてきたのだから、
「サムライ」として、「志士」として潔い人生を終えたいと、
自分のことで恐縮なんですが、心の深いところでそう感じています。



これは決して「右的」な思想に毒されているという意味ではなくて、
これからの時代を読み解く中で、日本人としての役割や、
今の混沌としているからこその中で、個人としてとても微力かも
しれないけれど、それでもささやかながらも自分の出来ること、
という意味でのもの。

見る人から見れば、「なんだそれ。ただのジコマンじゃん。」
と言われてしまうだろうけれど、それでも、何もしないで
日々を流されて生きているよりはマシ。

中途半端な状態でも、非力で弱小レベルでも、何でも良いから、
とにかく「今出来ること」から、動き出すべき第一歩のステップを
継続的な視点で勇気を持って踏み出す。

当然ながらそれは怖いし、大きな不安もある。
でも「本質」を常に意識しつつ、とにかく「動き出す」。
これが最も重要なポイントだと思うのです。




ところで最近、部屋を思いっきり整理整頓し始めました。

一つの理由は、亡くなってからの事を考えてということもあり、
もう一つは、無駄なものを整頓しなければ、残された時間への
ロス、無駄が生じるということへの不安。

精神や心は、どうしても環境に影響される。

狭い部屋なんですが、それまで両壁にうず高く積み上げられた
書籍も数百冊、服も、棚も写真も手紙も書類も片っ端から
「断捨離」した。

ようやく、普通の部屋という感じになった。
(今まで一体どんな部屋だったんだろう…汗)

といっても、それでも仕事の机の正面の壁には、
まだ数百冊の本が積まれている状態ですが…。

DSC_0019.png

如何にこれまで無駄なものを溜め込んでいたのか、
ということが、今回の大掃除で改めて良く理解出来た。

余裕があり過ぎて、無駄、ムラ、無理が多いうちは、なかなか、
エネルギーの「集約」は出来ないことが多いけれど、
時間や自由さの制限を受けると、それなりに無駄も排除し、
何を今すべきかが見えてくることがある。

条件が恵まれているからこそ出来ると思いがちだが、
案外と現実はそうではなくて、恵まれていないからこそ
出来ることも沢山あるんだということを、命の時間的な制限を
宣言された今だからこそ、改めて実感しているこの頃です。

「本質」という世界を見出す作業は、確かにとても大変で、
そう簡単ではないけれど、でも、それを発掘出来るように
なったとき、格段に精神や心は安定し、無駄な迷いや悩みは
激減していきます。

これは、部屋や荷物の整理整頓の世界に通ずると思います。
人間関係もまたしかり。

周りをグルっと見渡してみて、是非、「本質的なエネルギー」に
満ちている人と繋がれるように意識を向けつつ、
毎日を生きてみてください。

きっと、一人の人のご縁から、とても豊かな人脈が知らず知らずに
増えていくと思います。意識しなくても。

若い時はガムシャラでもいいけれど、年齢を重ねて行くと同時に、
こうしたことにも意識を向けて行く時間を少しづつ増やして
行く。

多分それが良い人生に繋がっていくと思うのです。

何だか、今日は支離滅裂な内容になってしまいましたが、
でも、意図することは伝わったでしょうか…。
何となく感じてもらえれば幸いです。

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