何のために生きているのか

「イメージ出来ることが実現する」

これ、ものすごく使い古された言葉だけれど、
改めて最近、身近で起こったある出来事を通じて、
「ホント、その通りだなあ…。」と実感したことがあったので、
ちょっとあなたとシェアしようと思います。

いまを遡ること約2年前、ある会社の顧問をやっている友人が、
知多漁港で水揚げされている、価値が低いながらも、
活きの良い小魚を何とか活用出来ないかとその会社から相談を受け、
2年がかりで、いろいろな苦労の末に国産の素晴らしいアンチョビ
ペーストの開発に成功した。

それは素晴らしい滑らかな舌触りで、特殊な醗酵手順を踏んで
いるので、輸入物では醸し出せない深い味わいになっている。

でも結果、この素晴らしいアンチョビペーストは、
未だ、この会社にとっては何の変哲も無い、魅力に乏しい
「訳の分からない商品」としての扱いを受け、市場にさえ
出そうという考えがない状態…。

多分…、このままでは廃棄処分の道はほぼ間違いない。

この友人と電話で話していたんだけれど、
「そもそも、この製品は何故誕生させようという考えで生まれたの?」
という、そもそも論になった。

その答えを簡単に言えば、TOPが開発から販売までの流れを
全くイメージ出来ていないままに、まるで「お祭りイベント」の
ようなノリで、「開発する流れ」そのものをただただ楽しんで
いるだけだった、ということ。

この商品が売れようと、売れまいとそんなことはどうでも良くて、
まるで小さい子供が砂山を作って遊ぶような感覚で、
数百万が消えているということ。

もともと、この会社はものを製造開発するようなノウハウは
全く無くて、流通販売することしか経験が無かった。

だから、メーカーとしてのジャンルを確立したいという
思いがあり、それの手始めに始めたプロジェクトだったらしい。

でも、ふたを開けたらTOPや関係者は「子供の砂山遊び」の次元。
このご時世で、ウソみたいなホントの話だ。

会社がこれで成り立っていることそのものが、とても不思議な
ことでも有りますが、でも、こういうことって、個人個人で
置き換えて振り返ってみると、似たようなことを結構していることがある。

つまり、経験していないことをやろうというとき、
(きっとこの先、何がどうなって、こうなる場合にはこう対処しよう…)
という流れが、全く分からない。

そういう場合は、先ずものごとは上手く進まず失敗する。

そう。当たり前なんだけれど、「イメージ出来ないことは実現しない」
ということが、経験知が稚拙な人間には理解がしにくい。

だからこそ、ものごとの初期の頃から多くの行動機会を沢山作って、
なるべく多くの人に会い、小さな挫折を沢山体験しておく。

その挫折こそがノウハウになっていく。

本当にあたりまえのことなんだけれど、結果を出さない人は、
今のレベルから動き出す、という感覚は全くなくて、
「これが整ってから」とか、「こういう状況になってから」とか、
コレも無い、アレも無いと、出来ない理由探しばかりをする。

つまりいつもどんな時も、「出来ない視点」で
物事の発想や展開を組み立ててしまう。

そしてもう一つ。こういう人ほど、
物事が成って行く「途中の経過」を考えない。
いきなり「果実」を手にすることを実現させようとする。

そして、いざ、条件が整ったときには、残念ながらチャンスは
そこにはいないことが多いので、やっぱり行動することより
もっと条件や環境を整えなければ上手くいかないと、また頭で
考えるだけの世界に戻る。

チャンスは行動しながらの現場に「生まれる」ということを、
肌感覚でわからないと、多分、いつまで経ってもこういうタイプ
の人は分からないんだろうけれど、その一歩を踏み出すことが怖いんだろうと…。

でも、行動しないと先ほどの「イメージ」というものが
つかめないんだよね、いつまでも。その最初の一歩に価値がある。
上手くやろうとしなくていい。最初の一歩は。
勿論、上手く運んでいくイメージは常に持っている必要はある。
でも、目先の現象にはいちいち一喜一憂したり、拘らない。

最初の一歩を行う結果、結果的に人に嫌われることがあっても
いいし、結果的に失敗したって全く構わない。

最初からスムーズにことを運ぼうなんていう考えそのものが
無謀というか、無知というか、むしろ失敗する場が生まれても
「当たり前」という感覚を持っていないと、
行動なんてとても出来ることじゃない。

勿論、ノウハウを持っている人に予め教わるとか、出来るだけの
準備や配慮はしておくのだけれど、それでも失敗は当たり前に
起こる。問題は、そこから次をどう行動するのかということ。
失敗を「どういう意味」で捉えているのかということ。

「失敗は世界の終わり」なんかじゃない。

そこから、次のステージが生まれ、
良い意味での新しい場が始まる。

その次のステージに立つために、その「失敗」という経験値が
あるんだということを、予め脳にインプットして
おかないければならない。

だから、前を向いて動く途中の「失敗」なんて、
小さい規模のうちならどんどんすればいい。
ただし、極力、失敗しないようにするための配慮は必要だ。

そして、明確で幸せな状態でのゴールの姿は、
常にリアルに描いて置く必要がある。

得てして、使える問題の解決法というのは、現場にしか落ちていない。
そして「理論」や「ハウツー」は現場を知らないと活性化させて使うことが出来ない。

どちらも知っておくほうがいいけれど、どちらを重視するか
というならば、現場を知っておくほうが実践的な体験知を
身体で覚えこませることが出来るので、何十年も使える可能性の
技術が会得できる分、非常に生きる上での強力な武器になる。

知識や理論は現場の実践知を進化させるためには有効だけれど、
肝心な現場を知らなければ、知識や理論が「触媒作用」の働き
を果たせなくなり、何も変化は起こらない。

もしあなたが「自分自身を変えたい」と思うのなら、
腹からそれをリアルに強烈に「イメージ出来る」感覚が、
体内に育っているかどうか。

その為には、「今すぐに出来る行動は何なのか」を
いつも常に意識しておかなくてはならないと思う。

行動するまでには「▲▲の何が足りなくて」、「条件は○○の
何が必要」だから、行動なんか出来るわけがない…。

こういう視点でものごとをいつも捉え、考えている人は、
いつまでたっても「出来ない人」のままだと思う。

ノウハウや体験知の蓄積が稚拙で貧素のままなので、
先々の流れを全く読めず、イメージすることが出来ない。

だから、上手くいかない。

組織で生きている場合なら、先の某会社のように、
TOPの能力が凡人未満でも、有能な人物が他にいれば何とか
全体としては周っていくけれど、個人ではそうはいかない。

「イメージ出来れば、それは実現していく」流れが、
起こりやすくなるのは確かに事実なので、そのイメージの内容を
あなたにとって有意義な展開になるように意識をしておくと、
良いのだけれど、実際にはそんな簡単ではない。

「紙に書いた」けれど、「写真を貼った」けれど、
目標がちっとも実現しないという人はとても多い。

それは、1,2,3を抜かして、4,5だけを追い求める
「横着者」の真似をしているからで、肝心なのは途中の
1,2,3をリアルにイメージし、それを腹にストン!と落ちる
レベルで、その段取りと実践している姿がイメージできていないからだ。

「果実」だけを何の努力も苦労もしないで得ようなんて、
上手く行くわけがない。

物事が仕上がっていくには、必ず、どんなことでも
物事の「道理」というものがあるし、そこを飛び越えて
スケベな心構えで美味しいものを得ようとしても、
きっと神様は許さないんだと思う。

先の会社は、おそらく関係する人間たちは、「売らなくて良い」
というイメージを先に強く持っていただろうし、だから、
一番肝心な、商品が出来上がってからの、その先の展望が、
全く出てこなかった。

結局は上手くいかない状況になることをイメージしていた事が
今、実現されているんだろうし、ただ悪戯に開発するだけで、
その過程を楽しみ「遊ぼうとしている」ことが見事に実現している訳です。

結局、今、あなたの置かれている状況は、それを求めてきたか、
そうではないかの違いはきっと有るんだろうけれど、
どちらにしても、きっと、心の奥深いところでは、
ずっと長い年月をかけながら、現在の方向に人生が流れていく
ように、何らかの形で実現の要素が集まるように
エネルギーを発信してきたからだとおもうのです。

今の人生の状況に、満足している人なら良いけれど、
しかしそうではない人の方がきっと多いと思う。

もしあなたが、自分の人生に「幸せな豊かさ」を実感できるように
なりたいのであれば、やはり、人生に一つの【軸】をズズッ!と
心の深い部分に突き刺さなくてはいけないと思うんです。

いくら金があっても、ただ馬車馬のように時間がなくて身体を
酷使して自分を見失って生きていくのは決して幸せなことでは
無いし、あなたのことを十分に理解し、愛してくれている人が
いない人生もまた、やるせない。

そうならないためにも、あるひとつの質問を自分に問いかけて
見て欲しいと感じます。



それは「一体、その力量を使って、何のために生きているのか」。



・その身に付いている技術は何のために使っているのか

・その能力は何の為にあるのか

・その知識は何の為に活用していくのか

金を稼ぐためとか、異性にモテるためとか…、有名になるためとか
そんな表面的でギラギラした欲望をただ満たす目的ではなく、
もっと根本的なもの。自分の精神をきちんと整え、
魂をずっとずっと奮い立たせるもの。

これを昔の日本人は【志・こころざし】といいました。



そう簡単に、すぐには出てこないものですが、
薄っぺらい生き方をしてしまっている人ほど、こういうことを
考えることは「面倒臭い」と毛嫌いしてしまう傾向が強いように感じる。



でも、悩み相談とかみていると、結局、今の現実をきちんと向いていなくて、
「現実逃避の生き方」を繰り返した末に、同じような傾向の問題に
ずっと繰り返し悩み苦しんでいる人。

生き方の中心軸が無いので、いつも他人に振り回され、
その不安でストレスがたまり、経済面や健康面の問題を
新たに発生している連鎖に苦しむ。人生が楽しくない。
先の展開も見えない。ただただ苦しい毎日…。



こういう状況を一つ抜け出すには、次々とやってくる問題や案件を
いちいちモグラたたきのように対応していては、心が持たない。



「自分の命をどう活かすか」

「自分の人生の使命は何か」

時間と労力はかかりますが、これを出すのが「命の活力エンジン」です。
やはりここをしっかりと土台に据えながら、日々の出来事に向き合い、
さまざまな対応対処をしていきたいものです。

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