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ある方(便宜上、Kさんと呼びます)からメールが届きました。その内容は下記のようなものです。


〜ここから

はじめまして。
もう1年半以上地獄のような状態が続いていて、精神科入院も自殺未遂も経験して余りに疲れ、消えたい死にたい気持ちに耐えられず、検索したら「絶対にやってはならないこと」の記事に出会いました。

「自殺してはいけない」とおっしゃいますが、あまりにつらく、メールで思いをシェアしてくださいと文中にあったのでお送りします。

わたしは昨年会社でパワハラ、モラハラに会い、そこから精神のバランスを崩しました。追い打ちのように今年離婚し、その後友達に裏切られ捨てられ、離れていきました。また、借金もあります。

あんなに周りに尽くしたのに、盛り上げたのに、今、僕のことを大切にしてくれる人は一人もいません。自分をゴミクズのように感じます。

今の職場にも居場所はなく、みんな厄介者として私を蔑視しています。それでも生きないといけないのでしょうか。毎日どうやったら楽に死ねるかしか考えられません。死にたいです。もう疲れました。楽になりたい。

間違っていますでしょうか。

〜ここまで。


…結論からいえば、「正しくはない」…です。

でも、これはKさんの人格や人間性に、”欠陥がある”とか”間違っている”ということでは無いんです。

人間なんだから、誰だって挫折や失敗、間違える事はあるし、社会の仕組みやシステムの多くは、こんな人間が作り出すものなのだから、完璧なものなど何も無い。よくよく見ると、殆んどのシステム、サービスや製品なんて”欠陥・穴ぼこだらけ”…。それくらいに考えておいても全く構わないと思います。勿論、日本には世界に誇れる、芸術ともいえる素晴らしい次元のものがたくさんありますが、一般的な概念で、という話です。

僕も、仕事や家庭崩壊、新築の一軒家が数個買えるほどの多額な借金。わずか¥100の石鹸さえ買うのに、躊躇していた時期もありました。あと生きて数日という、病床で意識は朦朧とする中、半ばあの世の世界を見ながら、いよいよこの世から魂が離れる重病経験等、人生のどん底を何度も経験して来ていますので、Kさんの気持ちは非常に良く理解出来ます。

要は、誰でもその中味はみんな自信が無いし、何度もコケて失敗し、そんな不安を抱えながら生きているということです。どんな偉そうな顔をして、活躍している人でも、根っこの部分はみんな「似たり寄ったり」です。

僕の60数年間のこれまでの人生の中で、体験上、得られた感覚の一つに、「9敗1勝」という世界観があります。

つまり、自分で一生懸命に生きても、成果が出る割合は、平均的にいえば「9敗1勝」程度…。殆どのチャレンジが失敗に終わる。でもその失敗や挫折は、無駄になってしまうのかというと、決してそうでもない。それは新しく自分に「知恵」を付け、貴重な生きる上でのノウハウになる。

だから、挫折や失敗は何も特別な事でもなくて、何か行動すれば、必ずついて回る「グリコのオマケ」みたいなもの。それが「自然界の暗黙ルール」だと受け入れておく。

職場で、相手を人として尊重せず、権力をかさに人間関係に配慮できない人間はとても多いけれど、こうした人もまた、自分の事で精一杯で心に余裕を持つことが出来ず、彼ら自身も、あなたと同じように、もがき悩み苦しんでいる。みんな同じなんです。

成果を挙げ成功をしている人ほど、自分を知る学びをし、自分らしく、課題や問題解決をするために、人より大いに学習を恐れず、日々の生活を豊かで幸せにするための研究をし、行動を多くし、失敗を糧に精度を高めるようにコツコツ取り組んでいます。

そこに魔法の呪文やアラジンのランプのような道具が有る訳では無い。人より多く行動し、人より多くの失敗をし、そんな冴えない自分でも、信じ諦めず、そこから学習を継続し、少しずつ学んでいるだけのことです。何も特別なことなど無い。ただ一つ人より異なるのは、それら全てを「楽しんでいる」ということ。

僕らが小さい時にやった細かいプラモデルやジグゾーパズルを、一つ一つ組み合わせ、仕上げていくような感じです。面倒くさいといえば面倒くさい作業…。でも、その面倒くさい中で、それが段々仕上がっていくのを眺めることが、とても充実感が在って、最後に形として見ることが最高に楽しい。それを毎日の生活の中で、学習として取り組み、いろいろ試行錯誤しながら仕上げているのが彼らの仕事の在り方であり、生き甲斐です。

さて、基本的に、問題や苦悩がずっと長く続く場合は、相手やそれらの環境が悪いのではなくて、自分がその現象を「厄介なもの」という”色メガネ”で見てしまっているからです。

僕は特定の宗教を深く信仰している訳では有りませんが、それでも、この世は何か人間や科学の力だけでは全て解決出来ない【大いなる存在の力】が働いていると考える方が、生きていく上で合理的だと捉えています。それを「神様」でも「グレートサムシング」でも何でも呼び方は自由にして良いと思うのですが、とにかく、そういう「大いなる目に見えない力」は存在していると。

その上で、考えて見て欲しいのですが、基本的に、この【大いなる存在】は、私達に対し、いつも厳しくも、包み込むような愛で接してくれていると感じています。それが正しいかどうかや、非科学的だからどうのこうのという議論はともかくとして、そう物事を捉えることで、自分自身の能力では解決に行詰まった時、その負のスパイラルから抜け出さなければ!と決意した時に、その心の整理や勇気を固める大きな力の一つになってくれたことは事実です。経験上…何度もこの考え方で救われました。

そして、この【大いなる存在】はとても厳しい一面を持っています。時として、自分の命に関わるような怪我や病気、アクシデント、さまざまなトラブルを通して、私達の生き様を正しいポジションに戻そうと導いてくれます。一旦、アプローチが始まると、そこには一切の妥協はありません。こちらがその生き方を直すまで、許してはくれません。そういう意味では非情です。

でも、それは、その根底には愛があるからだと思います。「愛情」ではありません。「愛」です。「愛情」と「愛」は異なります。「情」というのは人間の欲望的な打算が入っていることを暗示する言葉でもあります。親子なら親の権力欲、子なら子どもの甘えという打算。恋人関係、夫婦なら、それぞれの立場としての存在感欲求。

「愛」には一切の欲的な打算が有りません。ただただ、相手の意識の成長を願うだけです。こちらの見返りは一切、期待しない。ただただ…与えっぱなし…。そういう世界が【愛】の世界です。

人間関係が上手く行っていない原因の殆どは、この【愛】という概念が全く理解出来ていないことによって、いつも自分に「見返り」を要求することから起こります。「これだけやったのに」の「〜のに」に価値観をいつまでも囚われ続ける為、その行為自体を「損得勘定」で計る。自分の方が”見返り益”が少なければ感情としての不満が心の中で悪玉菌のように膨れていく。結果、心の環境が悪化していくわけです。これが”自業自得”というやつです。

ちなみに、最近の科学の世界でも明らかになってきたのですが、細胞の中のDNA情報に組み込まれている働きに、人間は「喜びという欲望」を満たす瞬間に、免疫力が向上していきます。しかし、問題はこの「喜び」の種類です。他人の為に役立つことを最大目標値に置いた目標達成が、最も大きな免疫力が向上することが分かってきました。自己保身や自己利益ばかりの喜びを達成しても、”全く効果無し”なのです。

この細胞DNAに組み込まれた人としての本能特性を少し考慮し、人間関係を良好にするなら、こんな法則を使うと、ファンがジワジワと増えて行きます。それは【与・与・与+初手】の法則。

これは、相手の「困ったな…」という場面や、何らかの人との接点や出会いがあったときに、それを根本的な次元から問題解決する行為、感謝の気持ち、お礼の気持ちを、見返りなしに与える。まだまだ与える…。感謝されても、食事や金銭的なお礼を出すと言われても、絶対そんなものは受け取らない。そしてさらにまだ与える。これで3回です。しかも、まだ誰もやっていない、相手にとっても初めての内容であればあるほど、効果が高い。上辺な行為、打算の心がそこに入っている場合、絶対にそれは”臭い”が出るので見破られます。飽くまでも、純粋に、誠実な心で誠意を持って行う必要がある。

わざとらしくではなく、相手が気付かれないくらいに自然に行うくらいでないと、本当の効力は発揮されていきません。仏法でいう「布施」の世界に近いかもしれません。つまり、人との関わりのご縁(これを縁起といいます)が生じた瞬間に、その目には見えないエネルギーネットワークラインを無駄にさせず、自分の精神を高める目的で、そこに発生した「相手の存在」を使わせて戴く。

例えばこれを人間関係で考えてみると、”パワハラ、モラハラ”と捉えるか、そういう現象が自分にとって、何かの「生き様へのメッセージ」と捉えるかは、物事を洞察する際の、情報を読み説く感性という次元によって、集まる情報の質、価値観が大きく変わってしまいます。同じ現象、環境下にあるにもかかわらずです。捉え方一つで”恨み”か、或いは「学習」になります。

さらにもう一つ。「少し上の次元」から客観的に捉えられるよう、【学習を日常に組み込んで】みる。

その思考手順は、このブログ記事のもう一つ前に書いた記事、「成功と失敗を分けるマスタリーポイント」に書かれています。紙に書いて、頭の中、心の中を一覧で「見える化」させることが、今を変える第一ステップへのコツです。

人生の長い間には、本当に山あり、谷あり、いろいろあります。Kさんが、もし、今の仕事や組織の人間関係に「もう限界だ…」というのなら、一旦、許される範囲で、その現場から離れてみるのも有りだと思います。

経済的な不安があるのなら、一定の条件を満たす必要は有りますが、役所のOBの方々が相談に乗る「生活サポート」や役所の「子ども福祉課」等に相談し、地域の生活保護システムを活用しながら人生を立て直すのも一つの方法だと思います。それは社会的に認められているシステムなので、非常時には堂々と活用すればいいんです。何も恥ずかしい事ではない。暫く、そういうシステムを有効活用し、また再び復活の準備が整えば、改めて堂々と自分らしく社会参加を果たせば良いと考えます。

一人の世界、一つの環境に囚われ、閉じ籠もって考えるのではなく、心を固くしている”しがらみ”から、一旦離れて見るのも必要です。検討材料として考えてみて下さい。

ウダウダと、うまくいかないこれまでの”古い思考ステージ”上で、どんなに悩み、考えていても、結果は、”うまくいかないゴール”に一直線に向かって進むだけです。こんなことを繰り返しているから、自分を嫌いになるし、やがては他の人間や社会にその矛先を向け始めるようになる。

人との軋轢が繰り返されたり、複数の相手から冷たい態度を取られたりすることが続く場合は、それが学生生活なら、まだ心が成熟していない子どもが皆についつられておこなうイジメもあるかも知れません。自分のコアを持っていない日和見菌のような、一人の強い存在に、ワーッと一緒に連動してしまう連中です。こういう人間は自分の生き方への自信が無いので、ある意味、良くても悪くても、いつも行動を示す「リーダー」が必要なのです。

大人の社会や会社組織の場合は、経済生産行為が絡んでいることが多々あるため、そういう行為は組織にとっても非常に生産性が極端に下がり、とても非効率なため、通常は、個々のピンポイントラインでは時々存在することは在っても、それが長期で全体から受け続くということは普通では考えにくい現象です。

もし、こういうことが続くようなら、一度、じっくり時間を取って、自分の中の物事を捉える価値観の何処かに、大きな落とし穴や、偏りが在ると判断し、今の物事全体を見る次元を変え、少しだけ高くし、これまでとは異なる視点で眺めてみる必要があります。

繰り返し似たような辛い問題が繰り返しやって来たり、自分を含め、人間が嫌いになるのは、【大いなる存在】から、「その苦しみにもがく生き様」の自分の姿を相手や問題の現象から見せ付けられているから。つまり、現状を抜け出すため、「お前さんの今の問題はこれだよ…」と『課題を突き付けられている』ということ。厳しいけれど、これが【愛】というやつ。

残念ながら、これを一旦、突きつけられたからには、もう逃げることは出来ません。正面切って、がっぷり四つで勇気を持ってガシッ!とそのテーマ、課題と向き合うしかない。子どもが転んで、膝から血がにじみ出ようと、「ああ…かわいそう」と言って、抱き起こしてはくれない。自力で立てるまでてを絶対に手を出さず、ただただ見守る。【大いなる存在】とは、こんなイメージです。

その代わり、「分かった!。…じゃあ今の僕の力量でも、この苦しさから抜け出す、最初の一歩を教えてくれ!」というような、【正しい問い】を要求すると、その答えは、必ずやって来る。不思議ですが、これは、何度やっても、100%やって来るのです。科学では全くもって說明できないけれど…。僕は何度もこれで救われました。

実はこれを最初に教えて下さったのは、今は亡くなられてしまわれた、経営コンサルタントの神様と言われた故・船井幸雄氏でした。この世には科学の力だけでは解決出来ないことがあると、人間の謙虚さを学ぶことが出来た最初の恩人です。今から35年ほど前の話です。

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「自分をゴミクズのように感じます」
「あんなに周りに尽くしたのに、盛り上げたのに
今、僕のことを大切にしてくれる人は一人もいません。。」

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これをもし、あなたが本気で信じ、考えているようなら、人生を好転させるのは多分出来ません。でも…本音の部分はそうではないはずです。じっくりと、一度、紙の上に、「自分は一体、どのようなこれまでの歴史から、このような考え方、人間関係の問題、低い自己評価に流れが生じてきたんだろうか」というテーマで、落ち着いた環境や、カフェ等で何日も掛け、振り返りのセルフワークを行なってみて下さい。

人間関係、家族、仕事、生活経済、自己特性・資質、健康、精神、学び、生活環境。これらについて、じっくり心の中にあるものを、整理整頓する意味でも、全て吐き出してください。怒りの感情を書き出すのではなく、あなたを客観的に眺める、もうひとりの「あなた」が冷静に分析し、一つ一つ短い言葉で書き出して下さい。まずはここからです。

このようなセルフワークは少々、始めるまでは気が重いかも知れません。でも、新しい事を始める時は、誰しもがこのような同じ気持ちになります。

もし、これさえやらないようなら、本当にあなたは未来の無い生き方を、してしまっています。先ずは本当の自分を知る。本当の私は何者なのか。今の悩んで苦しむ姿のあなたは、本当のあなたではありません。これまでの人生の中で、一度や二度は、キラキラしたあなたがいたはずです。

そして、もう一つ知っておくと良いことがあります…。

あなたは「死んだら、全てが楽になる」と考えているかも知れません。でも、その苦悩の状態は、肉体が無くなっても、そのままずーと何十年、数百年も継続していくということ。死んだら、それで苦しさが無くなって終わり、チャンチャン!ということにはならない。残念ながら…。死んでからのほうが何十倍も苦しい。

肉体がないあの世の方が、時間軸が長いので、一旦、この世を離れる際に、そんな苦痛、苦悩を抱え込んだまま離れると、それが何年も何十年も…ずっと付いて回るかもしれない。

これが本当かどうかは分からない。でも、そういう覚悟を持って、これからの考え、判断、行動をしたほうが、「心の立て直しへの覚悟」が決まりやすい。

つまり…。この世に生きている間に、とっとと今の目の前に提示されている【大いなる存在】からの課題、宿題を片付けてしまったほうがいいということです。それは、まるでかつて僕らが苦しんだ「夏休みの宿題」と同じようなもの。”見ないふり”して、後になればなるほど、心の中の重圧は大きくなり、苦しさも倍加していく。

「他人依存的」で「現状維持の場から動かない」と決め込んでいると、人生好転への【正しいやり方】がいつまで経っても分からないままだし、そんな“冴えない生き様”は、自分に自信も無くなり、やがて自分が嫌いになる。

自分に嫌気をさしている人のオーラーは、人から見れば当然、暗く沈んだオーラに包まれていて「近寄りたくない」ということになる。でも、そんなものは一時的な現象です。人がどう感じようと、何も不安や心配などしなくてもいい。本来の自分を取り戻せば、またその人が本来生まれ持っていた魅力的な雰囲気が戻ってくるからです。

どんな問題であっても、例えきっかけは他人が運んできても、突発的な出来事であっても、その流れをずっと辿って、そのラインをさかのぼっていくと…。そこには自分で考え、判断し、繰り返し行動してきた出来事が沢山存在している。

僕は全ての目の前にある現象は、全て自分の要因が根本・底辺に存在していると考えています。だからこそ全ての現象の根本は、基本的には「自己責任」。自分の物事への捉え方の次元をほんの少しだけでも高くすると、今まで見えなかった大切な事が、どんどん見え始めてきます。そうすると、不思議にその苦悩状態から抜け出すヒントや、解決方法が分かって来ます。苦悩は事象、現象が生み出すのではなくて、自分が生み出している。発生してしまった事象はもう変えられない。だからこその自己責任なんです。

この価値観を腹の底から納得することで、常に自分を冷静に正しく捉えることが出来るようになるし、その俯瞰する感性が身に付くことで、問題の本質や、その根本的な次元からの場の好転方法、解決方法が的確に見えるようになれます。

頭の中で悶々と悩み考えているよりも、紙の上で、健康、人間関係、生活経済力、家族、自己特性・資質、精神、未来好転への学び、生活環境、生きがい、等を元に、これらのキーワードから「どのようにして現在の私が出来上がってきたのか」、今置かれている「現状把握」をきちんと掴むセルフワークをやってみることを勧めます。

その具体的な学習の第一歩が、これらのセルフマッピングを行い、自分というものを先ずは「客観的に眺める技術」を養うことなんです。自分の気が付かなかった価値観の整理整頓も出来るし、「私は何者なのか」という、人生の立ち位置が見えてきます。「自分の立ち位置」が分かると、今度は、「本当に期待する未来の姿」にも意識が向いていきます。この両者が繋がることで単なる一つの「点」が「線」になり、「道」として、人生好転への生き方も次第に分かって来ます。

自分の人生は、基本的には自分自身で切り開いて行くべきもの。問題や苦悩は、その自己成長での節目で起こる。これは気付きを生み出す為の現象でも有るので、本来はとても有り難い現象なんです。

ただ…、その問題の解決方法を「僕には出来ない…」などと、言っているのは、まるでお膳に豪華な食事が常に「据え膳」で用意されていないと、僕はお腹を満たすことが出来ないんだ、このゆで卵、殻が付いているから食べられない、といっているような「他人依存思考」が強すぎ、バランスを失っている傾向にあるような気がします。

今のあなたのそのままの状態でもよいので、何から変化への取り組みが可能なのか、を、じっくり逃げずに、意識をそこに向けて考えていく良い時期だと感じます。

問題や壁の乗り越え方、その解決方法が分からないなら、謙虚で素直に人におしえを乞い、分かるまで自分で研究し、人やそういう人生に「また一つ賢くなりました。有難うございました」と、事ある度に口に声を出してみる。冴えない自分に、声を出すことである意味、脳に「自己暗示」を掛けていく。丁寧に、いい意味で「しつこく」これを何十日も何週間もやり続けていく。90日間行う事ができれば、かなり細胞の中にまで、その感覚に馴染みが出て来ます。

これは自分自身に対し、本来はもっと自分を高められるという【信頼と誇り】を持たないで、一体、どうするんだという話です。焦らず、ゆっくりご自分のペースでやればいいと感じます。

最初はまだしっくり来ず、自分のことが嫌いかも知れない。信頼が失われているかもしれない。でもそんな今までのことは重要じゃない。

問題は今後、とどのつまり…、一体【どうなることが最も心が安心し、圧倒的に豊かで幸せな状態が得られるのか】ということ。これは「私は何者なのか」から「私は何者になりたいのか」に人生を上昇させるということでもあります。

世界には、本当に悲惨な環境下で必死に命を繋いでいる人間が多いのに、こんな恵まれた日本に生まれ、蛇口をひねれば、すぐに飲める水が出て来る環境で生活し、贅沢しなければ、仕事はいくらでも出来、最悪、生活保護のシステムも整備されている、そんな僕らの住む今の環境。

なのに…交通事故死よりも「生きるのが辛い」と自殺する人間の方が多くなっている…。楽な方、楽な方へと”逃げる”ことばかり考えている。本当に、精神が腑抜けにされた日本人…。情けないと思うけれど。でも日本人の能力は、本当に高いものがある。どうか信じて取り組んで欲しいものです。

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まとめ:

自分が先ずは、ゆっくりと時間を過ごせる環境を整えられるように、考えてみてください。必要ならば、仕事を一旦、リタイアし、国や市の制度を調べ、相談してみる。

※その上で、先ずは1を焦らず、ゆっくり確実に取り組んでみて下さい。

1,自分の本当の価値観、資質をしっかり整理整頓すること。

※心に少し取り組む余裕が生まれたら、時間はかかっても構わないので、2に進んでみて下さい。

2,それを軸にそれを強みとして、探求・研究し、誰よりも切れ味鋭く磨き上げること。少なくとも、簡単に人が真似出来ない高い水準になっておくこと。

※人間関係、社会との信頼を育むには、専門書等での研究を深めつつ、3のステージを研究してみて下さい。

3,そこを軸に立ち位置を明確にし、人や社会に【自分の信頼の場】を育むこと。信頼への最初の入り口は「布施」の精神から取り組むこと。それを仕事や人生設計に組み込むこと。

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通り一遍ではなく、何度も何度も読んで、メモをし、自分の中で溶け込ませて行けるように、日常生活での中で、学習出来る仕組みを作り上げて行って下さい。

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