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このところ、仕事と、ある目的で関西での数日間を過ごした。

学習脳の研究チームが主催する専門講座に参加しがてら、全国から集った各業界のエキスパート、プロフェッショナルの方々と、数日間掛けてじっくりとお会いした。

医師、著名大学の博士課程を終えた研究者等…、多くは、何かを教える立場のプロばかり。

そういう人達は、日々、物凄い多忙を極める中、それでもスキマ時間を見付けては、非常に効率良く自分たちの未来をきちんと見極め、着実に無駄なく目標を設定し、誰よりも確実にそれらを実現させている。

彼らと数日間を共に過ごす中で、改めて実感したのは、「初期行動が誰よりも早い」ということ。

それが上手にいくかどうかを心配するのが、一般的に言う「普通の人」だとすれば、彼らは「何を言っているんだ。いきなり知らない世界、知らない事に取り組むのだから、初めから上手に事を運ばせよう…なんて、余りにも現実を甘く見過ぎている。

最初の頃の現実は「甘美な味」などでは無い。だからこそ、沢山の量をこなし、失敗パターンを誰よりも多く、数稽古をこなすことが必要になる。良い結果が出るのは100のトライでせいぜい2〜3個。これが現実のレベルではないだろうか…。」と口にする。

ここで何故、彼らのコメントを出したのかという事には、ある意味がある。

それは、「そんな行動を早くしたところで、待ち受けているのが『辛い現実…』だとすれば、何故、人よりも早く行動に移すことが出来るの…?」ということ。

これについては、後でその疑問に答えようと思う。

何より重要なのは、元々、彼らが優秀な学歴、優れた社会的な地位で活躍するだけの頭脳や能力を身に付けているからこそ、そうしたことが言えるんだろう、というように考えてしまうのではなくて、どのようにして自分の強みを見出し、どのようにして今のような人生を実現させて行ったのか…という、その人生実現に繋がってきた思考、ものごとの捉え方を参考にして欲しいと感じたからだ。

結果がいつまでも出せない人に最も多く見られるのは、最初から失敗を恐れ、いつまでも『行動せずに済む理由探し』に明け暮れていること。こうした姿勢を感じることが多々ある。

不思議なほど、版で押したように、こういうパターンに思考が陥っている人が多い。

体のどこどこが悪い、時間がない、お金がない、あれが足りない、これが出来ない、◯◯の条件が揃っていない…等々。

でも、未だに冴えない現実に直面している人をこれまで見てきた限り、この条件が揃ったところで、すぐにでも行動に移し、良い結果を導き出している人を、残念ながら未だ見たことが無い。

「あっ…これ私のことだ…」と思った人は、良く考えて見て欲しい。

行動に移すことが出来ない、本当の理由は一体なんだろうか…と。

少なくとも、これらの条件が揃っていないことが、”行動できない第一の理由”では無いことは、多分、明らかだと思う。

いろいろな考え方があるだろうけれど、和久がこれまでの自分の人生経験を通じて感じることは、なかなか行動できない人は、「自分の命の使い方」、「人生目標」が、そもそも分からないからだと感じます。

その生命を活動させていく方向。つまり人生をどのように生きていったら良いのかという方向性。

もし、今、金や時間、能力、目標実現の技術が手に入っていたとしても、自分がワクワクしないことには、虚しさしか残らない。ましてやただの目先の欲望を満たしているだけでは、心はクルクルと空回りしている感じが強まるだけだ。

そもそもこのブログは、20〜30代の人をイメージし、書いているので、人生経験が豊富な方にとっては、物足りない内容と感じることも多いと思います。でも、それも承知。

おそらく、これからの日本、世界はしばらくは混乱が生まれ、そういう状況下で、僕らは自分の大切な未来をセッティングし、自分自身の可能性を最大限に追求し、その上での期待すべき目標、夢を設定していく必要がある。

未来に正しく自分の生きていく羅針盤を設定する上でも、これらの混乱は、時代が大きく変わる時だからこそ、起こる現象だということを、先ず、大きく捉えておくこと。

これからお話しすることを、しっかり理解しておいて欲しいのですが、これからは、自分の目標を正しい方向へと正確に設定している人間にとっては、とても実現しやすい未来となります。逆に、持っていない人にとっては、非常に辛い世の中になる可能性が大です。そういう人にとって、ますます自己実現がしにくい世の中になるからです。

何故なら、今はかつてイギリスで起こった「産業革命」に匹敵する位の大変化の真っ只中にあるからということ。必ずこれまで常識だった価値観がガラリと大変化します。学びをしない人間にとって、不都合なことが起こりやすくなる時代に突入しました。

その根拠の一つは、情報の伝達・収集システムの大激震変化が起こっているからです。江戸時代から明治維新に匹敵する大変革といえます。

例えば、10数年前に、数百万もかかった高額なIT技術が、今は無料でどんどん生まれ、地球の裏側の世界最先端の技術、ツールがその気になれば誰でも自由に使える時代になってきている。

英語や外国語が話せなくても、PCやITツール上では、自動翻訳アプリで、90%以上の内容が瞬時に理解出来る。

その気になれば、世界の有名大学の授業、講義もITで自宅でも殆ど無料で受講出来る。

普通の人でも、真面目に勉強し、専門的な知識、技術を習得し、活躍の場を持てる「起業場」も、さまざまな情報公開アプリ・ツール、集客、告知システム、無料メールシステム、電子書籍販売システム等を使えば、専門家として活躍し、世界中にその情報発信が出来る時代になった。

人が経営する企業に勤めるというのは、ある意味、労働を提供し、その対価として賃金を受け取るということだ。

ある意味、人の目標のために自分の人生をそこに注ぎ続ける仕組みの上に乗っかるということでもある。だから、ある程度は、嫌な事でも我慢し、やらなければならない。こういう仕組みに入ることの方が安心する、という人はそれはそれでいいと思う。でも最近は、企業そのものが副業を進めることが珍しく無い。時代も変化してきている。

自分のラジオ番組、テレビ番組。地球の裏側にいても、ビジネス会議やパーソナルな案件相談、コンサル、コーチング、ワークショップ、教室、講座だって自由に出来てしまう。その分、誰でもその気になれば出来るということは、ライバルも増える。結果、時代の少し先を的確に感じ取り、長期的に「本物の水準」を残す人しか生き残れない。「インスタ映えする~」なんて表面的で無意味な事をやっている場合じゃない。人が注目する、その先を考えないと…。

【人の心に感動的に刺さるもの、その仕組みとは何だろうか…】。この問いへの答えが重要になる。

田舎にいると、そこで生まれ育った人の多くは、「ここにはなにもない…」という。…でも、綺麗な星空、美味しい空気、鮮やかな緑、綺麗な夕日。都会では見ることが出来ない生き物。虫たちの鳴き声。新鮮な農作物や食材。素朴な人柄を持つ心優しい住民たち。その都会では決して味わうことが出来ない、数々の田舎ならではの要素が、都会で疲れた人の心を癒す特効薬にもなり、海外の日本の文化に興味を持つ旅行者達が目を輝かせる日本ならではの田舎文化の宝庫だったりする。

こうした情報を発信するだけで、それが副業になったりする。

リアルな場で仕事に必要な店舗や事務所を用意すれば、何十万や数百万も初期コスト、運営費が必要だが、WEB上ではせいぜい数千円から数万で実現できる。しかも、日本中、いや世界市場を相手に仕事環境を構築可能だ。

逆に、人の目的の為に自分の時間、労力、人生のエネルギーを歯車の一部のようにコキ使われるしか、自分が働く場は存在しない、と考えている人間にとっては、非常に辛い時代に入っていくかもしれない。

今までの価値観の中でしかものごとを捉え、考えることが出来ないため、感覚的にも時代の変化についていくことが出来ない。生活費のために、嫌な上司、嫌な仕事を泣く泣くこなす日々に明け暮れる。悲しいかな、これではまるで未来を諦めたエジプト時代のピラミッド建設の奴隷と同じだ。

往々にして、誰かの人生目標の為に、その歯車の一部として使われている場では、自分の本当の魂がワクワクするような目標を見出すのは、非常に難しい時代になったと感じる。

それでも、やはり個々の人生においての「未来設定」は、以前よりもきちんとしておく必要がある。

副業や、ライフワークとしてでも良いので、先ずは、あなた自身の命が、魂が、心底からワクワクする、そんな「心躍る人生目標」を見い出すこと。そのために必要なことは、自分というものを、もっと知ることだ。

「私は一体何者なのだ」。そして、「私は何者になりたいのか」

この二つをベースに、日々の過ごし方を構築していくこと。これが繰り返し、僕がこのサイトやブログで言い続けていることです。

「生き甲斐」とは、自分自身の「弱み」と「強み」の両方を熟知した上で、初めて見えてくるものだと感じます。

だから、10代〜30代の前半時期の若い時は、失敗も含め、どんどんいろいろな経験を積むことが必要だし、今は質より量、数の経験をどんどんこなすこと。失敗を誰よりも多く体で体験し、その失敗したという体験を振り返り、その「プロセス」をフィードバックすることで、成功人生への「ノウハウ蓄積」が次第に仕上がってくる。

冒頭の部分で、エキスパートの立場で活躍する人たちの話を事例で触れました。

彼らは「人よりも早く、可能な限りより多く、小さなレベルでの失敗体験をどんどん積み重ねる重要性」というこの事について、誰よりも非常に深く理解出来ているからこそ、結果的に、誰よりもノウハウや高い専門性を身に付けることが可能になり、今や業界で、日本や世界を代表する人材として活躍出来ている。

誰に何かを言われるから…とか、嫌われないようにしたい…とか、人からよく見られたい…とか、そんな目先の薄っぺらな出来事に、いちいち自己評価の軸を委ねている生き方よりも、もう一つ次元の高いレベルに意識を向けるようにし、あなた自身の「魂」がブルブルと活性し、心底ワクワク感、喜びが内側からフツフツと沸き起こってくるような生き甲斐、目標を見出すこと。

例え、あなたが今、どのような仕事、冴えない自分、日々の環境下であったとしても、決して自分を不必要に見下げたり、低い自己評価などをしていてはいけない。絶対に…。それをしている限り、本当につまらない人生や人間になるからです。

例え、他の人から影響されたにしても、今の人生を生き、行っているのはあなた自身で決めていることに他ならない。その価値観を選んでいる最終決定者は、誰のせいでもない、あなたなのです。自分の大切な人生の決定権を誰かに委ねるほど、つまらない生き方は無い。自分の人生の質を創出していくのは、最終的には、あなた自身でしか出来ないんです。

自分の人生を今よりも幸せに、より豊かにさせるには、これからあなたにお伝えする、ある2つのことに取り組む必要がある。

一つ目は、あなた自身の魂がワクワクする「人生の生き甲斐」を見出すこと。そのためには「自分を知る」こと。「私は何者なのか」。

その最初のスタート手順は、いろいろなこのサイト内のコンテンツに何度も書いたので、そちらを参考にして欲しい。

今のあなたが、これを見い出せていないのなら、補助ワークとして、是非ともやって欲しいことがあります。

先ず、【問い】を自分に対し、出し続けて欲しい。「私の魂が最もワクワクする人生の大目標はなんですか?今の私でも分かるように具体的に示して下さい…。」と。

「神秘的、スピ系で非科学的だから嫌だ」という人も、騙されたと思って、やって見て欲しいのです。本当に効果があります…。

これを心静かになった夜寝る前に、軽く目を閉じながら、心の中で3回静かに唱える。

あなた自身が、心から納得する出来事が起こるまで、継続していくと、やがて実現していくはずです。コツは疑わず、子どものように純粋に無邪気な気持ちで信じて行うこと。その方が実現が早いです。実現したら「本当に有難うございます…」と感謝することを忘れないこと。

二つ目は「愛ある人脈」作り。

最初は難しいと感じることも多いけれど、人から大切に扱われたければ、先ずは、自分が人から大切にされるように、自己価値を上げるようにすること。つまり、人から「本当に有難うね…。感謝しているよ。」という言葉を言われる機会が増えるような生き様を自然に出来るようにする。

計算や打算、実利優先主義で動くことばかりを尊重するのではなく、目先の見返りを意識しない「役立ちそのもの」を提供することに可能な限り努めること。よく見せようと背伸びし、不必要にカッコつけたりせず、なるべく自分の良い部分を素直に出し、自然体で生きれるように人と接すること。

こういう行為そのものが「愛」を表す一つの表現だけれど、肉欲の異性への「愛情」とは違い、人としての「愛」。この生き方のほうが、断然、人から好かれるし、何よりも自由に、楽に生きることが出来ます。

自分が出来ることからで良い。無視されても全く構わないので、温かい言葉をかける。相手の目を見て誠実に挨拶をする。ゴミを片付ける。何気ない配慮をする…等々。コツは「見返りを期待しない」こと。

ものごとを「してあげっぱなし」、見返りを期待しない「やりっぱなし」で丁度良いと考えておくこと。相手の反応的な問題ではなく、自分の行為上の質だけの問題として割り切る。もし無視されたら、「愛が不足している人なんだな…」「だったら自分が先に提供してあげればいい」と思えば良い。

何年も続けていくことが出来た時、多分、あなたは、深い信頼を置ける凄い人脈を、誰よりも持っている人になっているはず。そして、その時、他の人は、あなたを誰よりも大切に扱ってくれるようになる。

結局、何か事を起こすには、一人だけの力では到底無理で、必ず誰かの助けを借りなければ、ものごとの実現は出来ないようになっている。目先の計算ずくでは、その”臭い”が必ず相手にバレる。

「生き甲斐」の創出と「人間愛ある信頼人脈構築」。
この2つをしっかり意識に据えた上で、「行動の速さ」を加えた時、これまで分厚くて超えられなかった壁が、壊れ始めていくと思います。

最初の初期行動時は、「針と針をきっちり合わせる」ような、高度な質感を追い求めることは避けること。それをやり始め、追い求めると、必ず失敗が続くし、失敗が余りにも続くと、自分への自信を失うため、すぐに挫折するからです。結局、自己評価が低くなる。そうすると行動することが怖くなる。悪循環です。

そうではなく、手のひらと手のひらを合わせるような、ある程度、広い許容範囲を意識し、その許容範囲の中でのスタートであれば、そのようなスタートの場からでも、やがて、自分の本当に追い求めていた世界に辿り着くことが可能です。

「場」は必ず次に必要な「場」と繋がっている。あとは、繰り返しそれらの「場」を繋げていけば良い。

つまりは「目指すゴール」は極力一つに絞る。時流変化と取り巻く環境変化、自己価値上、どうしても必要なら再設定する。それに関係するいろいろな「種植え」を施し、芽が大きく育つところから、小さくスタートすれば良い。そして動きながらゴール到達への精度をバージョンアップしていく。早くスタートすればするほど、自分のしっくりする「場」に、早く辿り着くことが出来る。

初期行動時は「質」より「量」。「量」の中にこそ「質」が存在している。

追記:

数日間の大阪滞在を終え、そのまま名古屋に帰ろうとしたら、急遽、京都に用事が出来た為、ローカル線で移動。ちょっとした小旅行の気分を味わうことに、幸せを感じた…。

京都での宿泊先は、御所の近く。

翌日所用を済ませ、せっかくなので、何十年ぶりに二条城を見学した。

改めて中を見させてもらうと、あの、明治維新の出来事が、ここで起こったのかと…、なんだか当時を偲ぶ感覚になった。江戸幕府を開いた徳川家康が起こしたこの二条城。同じ場所でその長い歴史を閉じたのも、ここ…。

今の日本も、その時代の大改革の最中にある…。

そんな思いを後にしながら、帰路に着いた。

帰りの路の途中で、偶然発見した路地横丁の麸の専門店。美味しそうだったので、思わず何種類かを購入。早々、その場から食通の友人に電話し、鍋の用意を頼んだ。約二時間後、寒さに縮こまった体を、「グツグツ」と音を立てている温かい鍋がジワッ…と癒してくれた。

京都の食文化の次元の高さを、改めて実感した瞬間でもあった。
日本の食材文化の奥域の深さは本当に凄いな…と。

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